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[コメント] ライフ・イズ・ビューティフル(1997/伊)

「希望」がありえない状況を、笑顔で乗りきろうとする主人公に、ある種の果てしない「強さ」を感じた。
Walden

ホロコーストという題材を使ってこういう映画を作ることは、非常なリスクを伴う。まして、本人がユダヤ人でなければなおさらだ。 さらにいえば、ロベルト・ベニーニがとっているスタイルは、あきらかにチャプリンを意識したものだが、これはこれでまた批判を招きやすい。

それだけのリスクがありながら、あえて映画化に挑み、世界中で賞を獲得し、また、ユダヤ人団体からも表彰されるのにはそれなりのわけがあるのだろう。

この映画が描いている「ホロコースト」は、いわゆる戦争の悲惨さではない。「戦争とはこんなにひどいものです」的な表現ではなく、明日はガス室送りかもしれないという絶望と隣り合わせの状況下で、人がいかに強く生きるかという生き方の1つの形を示したものだ。

悲劇や戦争を描く映画に「笑い」を持ち込むのは、非常に危険ではあるが、逆に効果的な側面もある。それは、「戦争」下における生を、それを構成する言説とは異なる言説で表現すること。

「戦争」を、「これが戦争の悲劇というものだ」という風に描くという通常のやり方は、確かにもっともストレートだし、人々の心に訴えやすい。しかし、それは同時にそれは戦争というものがもつ言説の中にとどまってしまう危険もある。「戦争では、こうした悲劇的な死や、不条理な死がつきものなんだ」と、戦争映画を見慣れた我々は思うだろう。そこで登場人物が死んでも、「だから戦争はいけない」とは思っても、その登場人物がやがて死んでいくという事実そのもにはある意味納得してしまう。だってそれは「戦争なのだから」。だが、もし自分が、その人だったら、その冷徹な事実は受け入れられうだろうか。明日にも自分は死ぬかもしれないという冷徹な事実の中で、それを確かには知らず、最後の一日を誠実に「生きる」ことはできるだろうか。

「これはゲームなんだ」という「ウソ」は、「明日にも自分は死ぬ」という絶望の中で、人がいかに希望を見つけ、いかに生を肯定的に生きることができるのか、という1つの可能性を描こうとした試みなんだと思う。Life is Beautifulとは、戦時下における生を、そのようにして描いた映画だからこそつけた題名なのではないだろうか。

残虐なシーンを描いたり、死体の山を見せたり、悲劇を描くだけが戦争映画のあり方ではないと思った。

(評価:★4)

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