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「ヌーヴェルヴァーグとヌーヴェル・ヌーヴェル・ヴァーグ」(tredair)の映画ファンのコメント

ドリーマーズ(2003/伊=仏=英=米) ラ・ジュテ(1962/仏) 去年マリエンバートで(1961/仏=伊) 美しきセルジュ(1958/仏) 田舎の日曜日(1984/仏) 勝手にしやがれ(1959/仏) 大人は判ってくれない(1959/仏) シベールの日曜日(1962/仏) 巴里を追いかけて(1987/仏) 獅子座(1959/仏) 最後の戦い(1983/仏) シェルブールの雨傘(1964/仏) 5時から7時までのクレオ(1961/仏=伊) セリーヌとジュリーは舟でゆく(1974/仏) ボーイ・ミーツ・ガール(1983/仏) ディーバ(1981/仏) 死刑台のエレベーター(1957/仏)が好きな人ファンを表示する

けにろんのコメント************

★3ラ・ジュテ(1962/仏)事後の壊滅描写より戦慄的なのが平時のオルリー空港で不穏な空気が充満する。時間遡行による記憶に閉ざされた想いのロマンティシズムが明らかにアラン・レネ的なのだが、この形式は最初で最後の偶発。故に1ショット静止を解かれて動く画が凡庸に見える。[投票(1)]
★2去年マリエンバートで(1961/仏=伊)何が本当で何が妄想なのかというテーゼは皮相なことにこの映画を観たこと自体が妄想だった気がするという締まらない帰結に拡散する。難解なのは望むとこだが終始ゆっくりトロトロ移動するカメラの動きの、はまったツボが俺のレム波動に同期した結果であろう。[投票(1)]
★3美しきセルジュ(1958/仏)嘗ては強烈な輝きで主人公を惹きつけたという設定のセルジュが丸投げにクスブった様しか見せないので主人公が何故にかくもその救済に拘るのかが伝わらない。正直イライラする。しかもラストで物語に決着もつけないではセルジュのみならず観る者も救われない。[投票]
★3勝手にしやがれ(1959/仏)手持ちノーライトカメラに時間軸無視の繋ぎや既成曲の断片使用に数多の引用など全てはここから始まった起源的価値を剥ぎ取り残るのは青臭い男女の痴話。先駆者は常に陳腐化するの例えから逃れられてるのは結局ベルモンドセバーグの魅力があるから。[投票(3)]
★3大人は判ってくれない(1959/仏)不良少年ものとしての殊更な刺激があるわけではない。教条主義の裏返しな親や社会への反動もベタついた甘えもない。そういう旧来のドラマトゥルギーを否定し少年期特有の快楽追求の生理を描くことに特化。レオの発見も大きかった。只若干言い訳めいてる。[投票(1)]
★5シベールの日曜日(1962/仏)少年大人顔のクリューガーと大人少女顔ゴッジの2人が超絶に後向きな物語の片隅感を弥増させる。その背徳すれすれの世界にドカエカメラがワンショット毎に宝石を磨き上げるが如く精緻な技巧を弄して詩情と死臭を加味していく。一瞬の弛緩も無い。[投票(2)]
★4獅子座(1959/仏)享楽の果ての地獄という反『いとこ同士』なテーゼを甚振りつくすような中盤のパリ彷徨。サディスティックな追い込みが初期デ・シーカ的な絶望への奈落を垣間見せる側から現れ出でたるクレール的放浪紳士に誘われ大卓袱台返しに至る。なんじゃらほい。[投票]
★3シェルブールの雨傘(1964/仏)浪花節だよ人生は的な物語を情緒メロメロの歌曲でビショビショにまぶしてくれるので息苦しい。本来小ネタで繋ぐ挿話も歌で綴られ身に沁みない。ストーリーを今更に読み返して見るといい話なのだがストンと落ちないのだ。ただ、ラストシークエンスだけは絶品。[投票(2)]
★45時から7時までのクレオ(1961/仏=伊)パリの街を移動し続けながら人との同道と離反を繰り返す彷徨は分単位に細分化され生態観察のような冷徹な筆致で来るべき時に向かうが、何気ない邂逅が世界を反転させ不安に充ちた予感は立ち向かえる障壁に瞬時に変わる。畳み掛けるような余りに鮮やかな終局。[投票]
★3セリーヌとジュリーは舟でゆく(1974/仏)彼女達がキャッキャと騒ぐ程には館の幻視譚が面白いとも思えぬので全尺の半分を費やした後半がひたすら冗長。屋外で展開する追跡行が魅力的な前半。それが捻れていく過程でもっと多彩なギミックを仕掛けて欲しかった。入れ替わりは逸脱が不穏で良かったのに。[投票]
★1ボーイ・ミーツ・ガール(1983/仏)80年代を代表するインディーズ出の3人(ジャームッシュカラックススパイク・リー)のブレイク前の作品が揃いも揃って青くて観念的なのは或る意味出来過ぎだったような気さえする。[投票(1)]
★2ディーバ(1981/仏)キャラクターの配置がまずありきなことを了承しても、バックヤードの肉付けこそ生命線なのに、驚くほどの脳内箱庭世界に留まり安住する安易さ。黒人歌姫・郵便配達人・殺し屋・ベトナム少女といった記号は思わせぶりであざといだけに終始する。[投票(2)]
★3死刑台のエレベーター(1957/仏)撮影と音楽の先鋭に加え時間芸術たる映画の本質にも肉薄するその天才が或る意味完璧過ぎて寧ろ嫌らしい。ロネモローの能面演技の深層に虚飾の下のパッションが焔の如く垣間見える瞬間は終ぞ無い。無軌道カップルにも結界を解く役は振られないのだ。[投票]