「ヌーヴェルヴァーグとヌーヴェル・ヌーヴェル・ヴァーグ」(tredair)の映画ファンのコメント
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ラ・ジュテ(1962/仏) | 動画と静止画。映画の生と死。 [review] | [投票] | |
勝手にしやがれ(1959/仏) | たとえば「男の子」と「女の子」。問題は此の「と」であって、そこに息衝く断絶と接続の運動こそ映画の全てだと言うこと。圧倒的に輝く光の白や煙の揺蕩が世界の無償の豊かさそのものなら、その中で男女は断絶と接続のキワを生きる姿を喜劇と悲劇の狭間で演じる。視線と視線は映画の視線を介して互いに断絶し合い、また接続し合い、つまりは「愛」を演じる。瞬間ごとに生きている本来の映画、映画の本来。 | [投票(1)] | |
ボーイ・ミーツ・ガール(1983/仏) | 圧倒的なモノクローム。小さな若者。剥き出しの核。この映画のミレーユ・ペリエはどこか『裁かるるジャンヌ』を見て落涙するアンナ・カリーナを思わせる。〔3.5〕 | [投票] |