★1 | 君は恋人(1967/日) | お祭り映画としてもこれはちょっと酷い。ストーリーのありきたりさをメタフィクション風味で誤魔化しているとしか思えない。もっとも、斜陽の日活にあって、負傷から立ち直った浜田光夫を元気付けるためにはこれくらいやらないといけないのだろうか。すべての歌唱シーンは冗長で心も高揚しない。 | [投票] |
★4 | 浅草の灯 踊子物語(1964/日) | 空気の緊張感と浅草文化の緻密な乱雑さは、とりあえず通俗映画に求められるほとんどの要素を満たすものだ。だが浅草の遠景がカキワリであり、吉永小百合の歌唱が全くの吹き替えであることから判るように、ここに登場する要素はすべてフェイクである。もっともそんなフェイク映画を愛するのが日活映画ファンであることを語るまでもなく、このデタラメ浅草は納得させられるものだ。 | [投票] |
★2 | 波涛を越える渡り鳥(1961/日) | 折角東南アジアで撮っているというのに、旭・ルリ子はもとより宍戸錠、白木マリの今までのシリーズとまるで変わらない役割はどうしたことか。もとより観光フィルムに毛の生えた程度の異国描写は、今の海外慣れした観客の目をごまかせるものではない。それ以前にだらけ切った演出は隠せないのだから、求められるものは全きパターン破りのはずだ。 | [投票] |
★3 | ろくでなし稼業(1961/日) | 気障だが三枚目の宍戸錠のスタイルはすでに確立していたが、クールなダンディ「ではない」二谷英明もなかなか笑わせてくれる。ドラマが一貫して明朗であるのはいかにも宍戸の出世作らしく、「ろくでなし」だが「人でなし」には堕ちない愛すべきキャラクターを演じきる。塩ラーメンを食べたマダムとのキスを「しょっぺえや」と評するなど小ネタも満載。 | [投票] |
★2 | 白銀城の対決(1960/日) | 古いもの=悪いもの=片輪もの=カッコ悪いもの、といった図式は昔のフィクションには散見されるものだけれども、さすがに21世紀になって見せつけられるとムカッ腹の立つ特徴づけではある。田舎の話にしてもこの作品の罠や妨害は子供だましに終始させられることもあり、裕次郎の活躍に痛快さは皆無。 | [投票] |
★2 | 愛は降る星のかなたに(1956/日) | 散漫な印象を受けるのは、キャラクターがそれぞれに身勝手に動くのみでその間を取りまとめる者がないからだろう。唯一森雅之の存在はあれど、家庭に仕事を持ち込まない彼ではどうにもならない。まして山根寿子の「愛」は森の退場をもってはじめて表に噴出する感情であり、テーマとも成り得ないものでしかない。 [review] | [投票] |
★4 | 東京の暴れん坊(1960/日) | コミカルな一編として大いに楽しめた。浅丘ルリ子も可愛い。そして何といっても「銀座旋風児」や「渡り鳥」シリーズでは大根のイメージが拭い去れなかった小林旭が、水を得た魚のように嬉々として熱演しているのが充分に感じ取れる。この当時の彼の魅力を最も生かした作品といっていいだろう。 | [投票(2)] |
★3 | 錆びた鎖(1960/日) | 兄弟の明らかな和解が描かれなかったことで、ずいぶん落ち着かない気分にさせられてしまった。そして何といっても… [review] | [投票] |
★4 | 結婚の条件(1963/日) | 浅丘にとって、アイドルから演技派に脱皮してゆく途上の作品。恋に思い悩みながらも、義兄と彼の大事に思う女を暖かく見守り、お節介すら焼く姿は若い彼女ならではの愛らしさ。まだ少女の香りすら感じとれるほどだ。 | [投票] |
★3 | 赤い夕陽の渡り鳥(1960/日) | 小林旭のハマリ役として納得。浅丘ルリ子のお嬢さん役もなかなかいい線いっている。宍戸錠の「詩人」ぶりは噴飯ものだが。なお、数々の事件が傷跡も生々しいままに放置されているように思えるが、そこをつっつくのは野暮か。 | [投票] |
★3 | 波浮の港(1963/日) | 有名な流行歌の映画化だが、なぜこの時代ですら古いこの歌を映画化したのか判らなかった。結局、港のある大島という閉鎖空間のなかでしか描けない悲恋を演出したかったからと判るが、そうまでして何故悲恋を描きたいのか、との思いは残る。ラブシーンで恋愛論をぶつけ合うあたりが当時の日活映画らしくて妙味がある。 | [投票] |
★3 | 骨まで愛して(1966/日) | 現代の北海道とは思えない牧場風景の不思議。渡哲也というと『東京流れ者』の曲が付き纏う不思議。でも、憂いを帯びたルリ子は素人クサさの抜けない智恵子よりずっといい。そして宍戸錠のバイプレイヤーの王座はもはや磐石である。 | [投票] |
★4 | 愛と死をみつめて(1964/日) | 美しいままで死んでゆけるならば、それはまだ幸福だろう。美しく快活な娘が、「化け物」呼ばわりされる仕打ちを受けるところにこの物語のやりきれなさはある。 [review] | [投票(6)] |
★2 | 北帰行より 渡り鳥北へ帰る(1962/日) | 一応最終作(の予定)だったため、復讐話にストーリーが集中し、いまいち小林旭のキザぶりが愉しめない。やはり渡り鳥は渡り鳥らしく、ふらっと街に現われて現地のダニを叩き潰して去ってゆくほうが彼らしい、などと自分は思ってしまう。 | [投票] |
★3 | 大空に乾杯(1966/日) | スチュワーデスである吉永の役柄はあまり重要ではなく、いつもの吉永のラブコメディであった。コメディリリーフとしての和泉雅子の位置は定着しているようで、彼女の「シェ〜!」が見られます。 [review] | [投票] |
★4 | でかんしょ風来坊(1961/日) | 明朗なコメディとしての旨味は変わらず。一本槍先生役は殿山泰司に変わって少々テイストと迫力が変質したのが残念だが、ルリ子はじめ女優たちの奮闘あって見所は多い。北林谷栄も謎のブラジル帰りの老婦人を好演、大正時代の女給役も驚くほど板についている。タイトルは安易に変えず『暴れん坊シリーズ』らしくして欲しかったが。 | [投票] |
★3 | 花の恋人たち(1968/日) | この頃もう吉永はコメディエンヌではなく、また女同士で群れるのにも向いていない。結局孤独の陰を引きずりつつ健気に頑張るしかない彼女に、この役は適役だったろう。もっとも、優等生しか演じられない自分自身への苦悩も、当時の彼女にはあったのではないか。 | [投票] |
★3 | ギターを持った渡り鳥(1959/日) | このシリーズは「赤い夕陽の…」しか知らなかったので、ヒーロー滝の過去を知ることができたが、小林旭に過去の暗い影は似合わない気がする。それゆえこの後、この設定は忘れ去られたようになっていたのだろうか。 | [投票] |