皆殺しの天使(1962/メキシコ) | ★5 エンリケ・ノビレと妻のルシアは、オペラ帰りの名士たち約20名を自宅の晩餐会へと招く。が、まるで何か悪い予兆でもあったかのように、彼らが屋敷に到着する頃には、執事のフリオを除くすべての使用人は逃げ出してしまっている…。それでも和やかに歓談し食事をとる一同。ところがその後、なぜか誰ひとり客間から出られなくなってしまい、また、外からも誰ひとり屋敷に入れなくなってしまう…。極限状態におかれた客たちの悲しくもありおかしくもある醜態や、外で大騒ぎする人々の様子をたのしむ不条理型パニックムービー。95分。「皆殺しの天使」というタイトルは聖書の黙示録に出てくるもので、もともとは友人が違う作品に使おうとしていたものをブニュエルが先にパクったそう。とは言え、きちんと使用許可を求める手紙を書き「聖書の言葉に使用権も何もあるかね。」という返事をもらったそうなのでどうぞご安心ください。 (tredair) | [投票(3)] |
昼顔(1966/仏) | ★4 青年医師であるやさしい夫を愛してはいるが肉体的なヨロコビにおいては満足していない妻、セヴェリエーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)。しばしば性的妄想に耽っていた彼女は、ある日、女友だちから高級売春宿の存在を教えられる。やがてセヴェリエーヌは「昼顔」という名でそこで働きはじめ(もちろん夫にはナイショでーす)、その上品で貞淑な美貌のため、たちまち人気者となっていくが…。ブニュエルがドヌーヴとコンビを組んだ第1作、100分。最初、ブニュエルを理解できなかったドヌーヴは「何故こんなことをしなければならないのか分からない。」とスタッフに漏らしていたそうで、「ブニュエルが命じたとおりに振る舞うことです。」と説き伏せられたとのこと…。 (tredair) | [投票(5)] |
銀河(1968/仏=伊) | ★5 サンチァゴ・デ・コンポステラへの巡礼の道をたどる二人の男、ピエールとジャン。二人のロードムービー(と言ってしまってよいのかどうか少々迷うところだが…、捨聖さんのreviewをご参照ください)を主軸に、様々なキリスト教的エピソードが次々と繰り出される。それらのエピソードは異端派のものが中心だが、例えば「持っていないものは何も与えられないだろう。持っているものは、増やされるだろう。」といった有名な福音書のコトバでさえも、ブニュエルにかかるとかなり高度なギャグとなってしまう…。カソリック圏に生まれ育ったブニュエルの、とんでもないパンク魂が炸裂する102分。 (tredair) | [投票(4)] |
欲望のあいまいな対象(1977/仏=スペイン) | ★4 「コンチータという名の女」に夢中になり、さんざんふりまわされる老紳士、ワチウ。金品をプレゼントしたり家族に援助したり家を買い与えたりととにかく尽くし、国境をも越えて彼女を追いかける。けれども、マチウの懸命の努力にも関わらず、「コンチータという名の女」は彼をさんざん挑発しつつも最終的には彼を徹底的に拒絶し続ける…。ブニュエル曰わく「欲望のあいまいな対象とは女性でも性でも精神でもなく、彼の欲求不満である。それが彼の欲望をより刺激するのだ。」この映画は(ブニュエルによると徹底的に計算しつくしたらしい)配役の妙味に最大のおもしろさがあるので、よーく注意して見てください。104分。 (tredair) | [投票(6)] |
アンダルシアの犬(1928/仏) | ★5 くわえ煙草のひとりの男(ルイス・ブニュエル)が剃刀を研ぐ場面からはじまる、悪夢のようなイメージ連鎖の数々。シュールで不可思議な世界を堪能する魅惑の17分、モノクロ。ブニュエルとダリが一緒にクリスマスを過ごしていた時に、ダリが「昨夜、掌をうようよしている蟻の夢を見たんだ。」と語り、ブニュエルが「何だって? 私は誰かの眼球を切った夢を見たんだ。」と応えたことから企画が始まったとのこと。何の討論もなく仲良く6日間で書きあげたというシナリオは「頭に浮かぶ第一番目のイメージを拾いあげ、反対に、文明や教育から連想されるものすべてを機械的に排除しつつ完成されたもの。」であるらしい。 (tredair) | [投票(9)] |
嵐が丘(1953/メキシコ) | ★4 エミリ・ブロンテによる怒濤の恋愛小説「嵐が丘」を、名前から舞台からラテン色に染めあげ(ヒースクリフとキャサリンはアレハンドロとカタリナに、ヒースの丘はメキシコの砂漠に、といった基本事項はもちろん、細部に渡るラテン風味にもご注目!)、かつ、登場人物の暴力的なほどの愛や憎しみ、葛藤をさらに増強させた86分。「すべてを破壊させる狂気の愛」を撮りたかったブニュエルにとって、ウィリアム・ワイラー版はどうもお気に召さなかったらしい…。自分のものを撮り終えた数年後に鑑賞し、「私の映画の方が小説の精神という観点からすれば、ずっと出来がよいと思う。」と豪語している。 (tredair) | [投票(1)] |
キツツキはいない(1984/豪) | ★5 日常のふとした瞬間に頭に思い浮かぶような、とりとめのない想像や奇妙な連想。それらをオムニバスとして映像化した、モノクロ12分30秒の実験的作品。当時のジェーン・カンピオンはルイス・ブニュエルに傾倒していたそうで、原題の「PASSIONLESS MOMENT」とは、心理学用語で「無為の瞬間」という意味であるらしい。同時上映の「ピール」は、少年がオレンジの皮を窓から投げ捨てたことをきっかけに、家族一人一人の内面があらわになってゆく作品(カラー、9分)。「彼女の時間割」は、かなり不幸な家庭環境にある、ちっとも可愛くない60年代の多感な少女たちをあたたかい視線で描いた作品(モノクロ、27分)。 (tredair) | [投票(1)] |
自由の幻想(1974/仏) | ★5 1808年、トレド。フランス軍に占領されたスペイン人が「自由よくたばれ!」と叫んでいるところから映画は始まる…。と書くと、何やら重い史劇か何かかと思われそうだが、実はこれは二人の家政婦が公園のベンチで読む物語の一場面である。…となると、今度はこの二人が主人公なのかと思われそうだが、これがまた関係なく、同じ公園内にいる他の少女に視点が移ってゆく…。を104分間みっちり繰り返す、かなりシュールでブラックな連想ゲームとショートギャグ(と私は思っている)の数々。とは言えブニュエル翁なので、一筋縄ではいきません。彼いわく「いつも私たちがまさに目前に持っているものを見ることを怠る軽薄さなのだ。」 (tredair) | [投票(2)] |
恋におちたシェイクスピア(1998/英=米) | ★4 舞台は、エリザベス一世が治めていらっしゃったイングランド。若き戯曲家 ウィリアム・シェイクスピアは、いっこうに筆が進まず悩んでおりました。 彼にいま必要なのはずばり”恋”! 燃えるような恋に身を焦がさねば 良い作品は書けぬのであります。さてさて、ここに登場いたしますのが、 お美しい貴族のお嬢様(グウィネス・パルトロウ)。この方、高貴なご身分にありながらも、なんと お芝居などという庶民の娯楽に興味がおありなご様子。ご自分も舞台に 立って演技をしてみたいなどと思いあそばせますが、当時舞台に立てるのは 殿方のみ。ご婦人の身では叶わぬ望みです。ですが、ここで諦めないお嬢様。 大胆にも男装して(!!)身分をやつし、シェイクスピアが監督する新作「ロミオとジュリエット」 のロミオ役を掴んでしまわれます。そして、ひょんな事からお嬢様がご婦人 である事をシェイクスピアが知ってしまい、おふたりは恋に落ちるのでございますが... 身分違いのこの恋。はてさて、どうなりますやら? (あまでうす) | [投票(9)] |
エレヴェイテッド(1997/カナダ) | ★4 高層ビルのエレベーター。一人のおばちゃんが乗り込んだ。後ろにゃ鼻息きついおっさん。ヤダわこのヒトなんなのさ。そんな不安はまだ序曲。途中の階で乗り込んだ、血まみれ男の主張する、世にも奇妙な警告に、おばちゃん背筋が凍りつく。『CUBE』を観たらソノ後に、ビデオのケツに入ってる、こいつを忘れずご覧あれ。 (はしぼそがらす) | [投票(5)] |
黒猫・白猫(1998/独=仏=ユーゴスラビア) | ★5 ドナウ川のほとりに暮らす自称天才ギャンブラーのオヤジと純真でじいちゃん孝行なムスコを中心に、ギャング・マフィア・テキヤ・死人・アヒル・ブタ・ヤギ・切り株・ボットン式トイレたちが織りなす、愛とお金と犯罪と音楽と歌と踊り、そして笑いと勇気のぐるぐる絵巻。黒猫が画面を横切れば不吉のしるし、白猫が画面を横切れば幸せがやってくる。2匹揃えばナニが起こる!?・・・エミール・クストリッツァの引退宣言後第1作。主演数人を除き、出演者はほとんどが素人のロマ人(ジプシー)で、彼らは台詞を覚えられず、台本はあってないようなものだったという。とくに主役級のじじい二人は「台詞を覚えて、それを喋る」ことを理解しているかどうかも怪しく、絶対台詞を覚えない。キレた監督が「次に違うこと言ったら殺す!」と叫んだところ、じいさんたちは「わしも1カ月ぐらい前からそうして欲しいと思ってた」と返したとか。 (はしぼそがらす) | [投票(28)] |