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〓続・じつは3部作〓パート2。しかし自信なし。間違ってたら教えて下さいな。  A=ルイス・ブニュエル <哄笑>3部作  B=ベルナルド・ベルトルッチ <オリエンタル>3部作  C=ジョン・フォード <騎兵隊>3部作  D=サタジット・レイ <大地のうた>3部作  E=ジョン・カサヴェテス <結婚>3部作  F=カルロス・サウラ <フラメンコ・ミュージカル>3部作  G=レオス・カラックス <アレックスの青春>3部作  H=アッバス・キアロスタミ <ジグザグ道>3部作ドド
〓じつは3部作〓タイトルからは分かりにくいけど、一般的に“〜3部作”と呼ばれている作品。 A=ロベルト・ロッセリーニ <戦争>3部作  B=アンジェイ・ワイダ <抵抗>3部作  C=イングマール・ベルイマン <神の沈黙>3部作  D=フェデリコ・フェリーニ <ローマ>3部作  E=ルキノ・ヴィスコンティ <ドイツ>3部作  F=ミケランジェロ・アントニオーニ <愛の不毛>3部作  G=ピエル・パオロ・パゾリーニ <艶笑>3部作  H=ヴィム・ヴェンダース <ロードムービー>3部作  ドド
空の映画空が嫌いな人はこの世にいない。 誰でも1度くらい空を自由に飛びたいと思ったことがあるはずだ。 空のむこうには、宇宙がある。音速を超えた人類は、宇宙を目指した。 空と宇宙には、決して果てることないロマンがつまっている。 A 見終わった後、空を見あげよう。愛すべき飛行機野郎とロケット馬鹿たちの映画。 B 映画の中で、ものすごくキレイな空の描写がある映画。カー
あの人たちの「お気に入り」コメント数1000件を超すコメントの達人 《けにろん》氏、《黒魔羅》氏、《丹下左膳》氏の3人が全員5点を付けた幸福な映画たちです。(コメント数上位10人で…と考えていましたが3人でギブアップしました。「根性無し」ですみません。)cinecine団
キネジュン婆の選択-洋画編-1924年から2003年まで『キネマ旬報』で年間ベスト1に選出された全洋画作品■muffler&silencer[消音装置]
いきなり歌いだしていいですか?華麗なるミュージカルの世界映画がトーキーになったときから避けられない運命、それこそ歌う映画。A⇒いきなり歌いだしてもOK!B⇒えっそこで歌っちゃうの・・・、C⇒も〜好きにしてはしぼそがらす
いきなり踊りだしていいですか?躍動するミュージカルの世界今でも、観た人をダンス教室に走らせる力がある。かく云う私も走った!A⇒名人芸・至高の芸の華麗な世界、B⇒群舞・カメラワークの躍動する世界、C⇒なんか振り付けかっこ悪くない?の世界はしぼそがらす
リュック・ベッソン セレクションTSUTAYAの企画(だったと思う)でリュック・ベッソンが日本人に向けて7本のフランス映画をセレクトしました。若き日のベッソンも強く影響を受けたとかで、観るとベッソンのルーツがわかるかも? いずれも個性の強い作品ばかりです。 『チャオ・パンタン』 『汚れた血』 『セリ・ノワール』 『人生は長く静かな河』 『料理は冷たくして』 『溝の中の月』 『サンタクロースはゲス野郎skmt
電子音楽の世界〜レオン・テルミンに捧ぐPOVテルミンが使われている映画を集めたあまり意味のないPOV。映画『テルミン』によると映画界で初めてテルミンを取り上げたのはかのA・ヒッチコックで作品は『白い恐怖』だそうです。 C:フランスの電波管楽器”オンド・マルトノ”を使用した映画。(←さっき初めてその存在を知りました。)日本が誇る世界的奏者であるハラダ・タカシさんが『D坂の殺人事件』と『スネーク・アイズ』のレコーディングに参加しているそうです。町田
USJな映画ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでアトラクション他になっている映画達です。私の主観ですが、これから行かれる方の指標になればいいと思います。A:並ぶ価値あり、絶対に見よう B:どちらとも言えない、あっけない C:時間があるなら見れば D:アトラクションではないがUSJに関係した映画アルシュ
アカデミー賞外国語映画賞受賞リスト日本公開作品のみ。未登録作品→『BLACK & WHITE in COLOR/ブラック・アンド・ホワイト・イン・カラー(1977)』、『これからの人生(1977)』、『ハンカチのご用意を(1978)』、『ジャーニー・オブ・ホープ(1990)』、『エーゲ海の天使(1991)』。(外国語賞は1956年〜)ハイズ
米アカデミー主題歌賞第7回から設けられた音楽部門は始めは「作曲賞」と「主題歌賞」の二部門でスタート。その後いくつかの部門の細分化や追加がありましたが、1999年からは「作曲賞」と「オリジナル歌曲賞」の二部門になっています。 ●Original Song: その映画の為にオリジナルの音楽と歌詞によって新たに作られた歌曲(主題歌)で、劇中においてメロディと歌詞が明確にわかるように使用されているもの。●オリジナル曲が対象ですから、『プリティ・ウーマン』の「Pretty Woman」や『ボディガード』の「I Will Always Love You」のように過去のヒット曲を使用した場合は勿論、 『ゴッドファーザー』や『雨に唄えば』のように過去に別作品に使用されたことのある曲の再利用も候補になりません。ミュージカルの映画化では、舞台では使用されていない映画用に新たに書き起こされ追加された曲のみが対象になります。cinecine団
アカデミー賞作品賞受賞作品アカデミー賞作品賞受賞の映画たちです。見てないのばっかだなあ。 バーボンボンバー
コーエン・ワールド兄弟に駄作無し。面白さ保証付き。    B:関連作品モン
マボロシの世界〜サーカスのある風景サーカスの音楽ってものすごく神秘的。ドアーズの2ndのジャケ大好きです。町田
ジンジャー・ロジャース今度はフレッド・アステアとの名コンビで有名なジンジャー・ロジャースを特集します。  プロフィール付  1911年7月16日米・ミズーリ州インデペンデンス生まれ。コーラスダンサーをへてRKOのオーディションに合格し30年に映画デビューした。33年の「四十二番街」で注目され名コンビとして知られるフレッド・アステアとの最初の共演作の33年の「空中デビュー時代」でスターとなり以降フレッド・アステアと共にミュージカルスターとして主に30年代に活躍。RKO時代の出演作の「コンチネンタル/離婚協奏曲」や「トップ・ハット」「ロバータ」「艦隊を追って」等9本とMGM時代に出演した「ブロードウェイのバークレー夫妻」を含め合計10本のミュージカル映画でアステアと共演し名コンビとして有名になる。40年代も40年の「恋愛手帖」でアカデミー賞主演女優賞を受賞する活躍ぶりもみせ主にコメディー映画を中心に活躍しアステアとの共演は49年の「ブロード・ウェイのバークレー夫妻」が最後となる。50年代は前半頃まで活躍し後半はテレビ映画が中心となり60年代からは本業だった舞台に活動の場を移した。晩年は健康を害して足が不自由になるものの1人で暮らしていた。95年4月25日に生涯に幕を降ろした。 ジンジャーはコメディーをやらせたら一番の女優、作品的にも後半はコメディーが目立つ。ただどうしてもアステアとのコンビ知られる彼女は後ろで控えているイメージが強く主演作であまり注目されなかったのが残念、しかし主演でも存在感があって明るくはきはきした活発な女性を見事に演じられる確かな演技力がある、基本的にミュージカルが多いがミュージカル意外でもシリアスもこなせるので作品に合せて臨機応変に演じられる女優である。    わっこ
ジュディ・ガーランド今度は40年代を代表するミュージカルスター、ジュディ・ガーランドを取り上げます。  プロフィール付  1922年6月10日米・ミネソタ州クランドピッズ生まれ。本名はフランシス・エセル・ガム。歌手の父親とピアニストの母親の間に生まれ2人の姉と共に育てられる。父親は小さな劇場を持っていて彼女も姉と共に舞台に出演する、33年頃一家そろってカリフォルニア州に移住。町の演劇学校で学びながら児童劇団に参加しやがて有名なヴォードヴィリアンのガス・エドワーズに認められ姉のメリー・ジェーン(スージー)とヴァージニア(ジミー)とガム・シスターズを組んで幾つかの劇団に出演、34年にシカゴの劇団に出演した時ヴォードヴィルの大物ジョージ・ジェッセルの進めでガム・シスターズからガーランド・シスターズに改名、ジュディ・ガーランドの名は彼女が好きなホーギー・カーマイケルの歌「ジュディ」に因んでつけられた。35年にシスターズは解散ジュディは作詞家リュー・ブラウンに進められてハリウッドに行きジェッセルの助けもあってMGMと契約、36年のディアナ・ダービン主演の短編映画「エヴリ・サンデー」でデビューし同年に20世紀FOXに貸出されて「ピックスキン・パレード」にも出演、MGMに戻ってヴォードヴィルの女王と称されたソフィー・タッカーについて歌を学び数々のミュージカル映画に端役で出演し始めての大役をへた「踊る不夜城」(37)で注目され39年に当時名子役だったシャーリー・テンプル用に企画される筈だった「オズの魔法使」のドロシー役に起用されスターとなる、その後「青春一座」(39)等の青春ミュージカルでミッキー・ルーニーと名コンビとして知られる。「若草の頃」(44)や「踊る海賊」(48)等で40年代を代表するミュージカルスターとして活躍、ジーン・ケリーやフレッド・アステアと当時を代表するミュージカルスターとも共演した。48年頃からは肥満抑制剤、睡眠薬等のドラックによるノイローゼで49年の「アニーよ銃をとれ」では途中で降板してしまった。MGMからは契約一時停止をうけ50年には自殺未遂まで起こしてしまい低迷すると誰もが思うなかプロデューサーのシド・ラフトによりフランク・シナトラやビング・クロスビーとの共演でカムバックした。「スタア誕生」(54)では後に高い評価を受けるものの当時は結果的に失敗した為、映画女優としては人気が下降し晩年にかけてはステージで活躍する。「オズの魔法使」でアカデミー賞主題歌賞と特別賞を受賞する他ゴールデン・グローブ賞では「スタア誕生」で女優賞、セシル・B・デミル賞を受賞。アカデミー賞の方では「スタア誕生」で主演女優賞「ニュールンベルク裁判」(61)では助演女優賞にノミネートされた。69年6月29日に睡眠薬多量摂取より死去。五度の結婚暦があり二度目の夫ビンセント・ミネリとの間に生まれた娘ライザ・ミネリは女優となる他52年に三度目の夫シド・ラフトとの間にも次女のローナ、長男のジョーをもうけた。わっこ