[コメント] タンポポ(1985/日)
"アレ"がラストにあるからこそ、消費"食"文化社会、ひいてはこの物語自体への痛烈な自嘲的パロディーへと昇華する。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「最後まで観てくれてありがとう。でもね、ホラ、麺の太さや縮れ具合がどうの、かんすいの分量がどうの、ラーメンやスパゲティーの食い方がどうの、ナンダカンダ言ってるが、みんな生れてしばらくは同じ『乳』からスタートしたんだぜ。飲み方だって、乳房(あるいは、哺乳瓶)にしゃぶりついて、みんな同じだったじゃないか。」ってね。
自ら「ラーメン・ウェスタン」と呼んだこの『タンポポ』。監督の「食」に対する綿密なリサーチの上で丁寧に紡がれた物語、そして、その物語の中で、主人公やサブ・キャラクターたちが「食」に徹底的にこだわり、執着するその姿、その物語内外の行き着く先があの「<原点>=母乳」にあって、痛快な皮肉になっていると、僕は思う。「あまりにあざとい」という批評も見かけた気がするが、僕はこういう、ブニュエル的な(あそこまで精錬されていないけど)シニシズムやニヒリズムが大好物だ。
そういう意味で、「食」をテーマにしつつも「人間」や「社会」を鋭く風刺していると僕は見た。
時代は折りしも「グルメ・ブーム」だったしね。それを踏まえて考えると、『ガチンコ』の「ラーメン道」も、ヤラセ云々はさておいて、実に滑稽だよなあ。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (13 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。