[コメント] イノセンス(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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前作はかなり好きである。『ブレードランナー』と同じく、香港風(というかほとんど香港)の舞台だが、こちらは青空もまぶしい晴天のシーンが多くオリジナリティがあり、リアルな情景と高度に電脳化された社会のミスマッチが面白かった。またハードボイルドな人物描写、アクション、未来ガジェットと目まぐるしく見せ場を展開した果てに宇宙的な広がりを暗示させる結末に至る、ちと誉め過ぎだとは思うが、堂々たる出来映えだった。
今回、よく知らないが前作以上の制作費、技術を投入しているそうで、さらにすごいものを見せてくれるのだろうと期待はいやがうえにも高まった。
で、この作品だが、?の連続である。技術的には相当進歩しているらしいのだが、反って新鮮味がないと思えるのはどういうことだ?前作とは反対に夜景や、薄暗いシーンがほとんどだが、この雰囲気は・・・しかも空飛ぶティルトローター機から見る下界もどこかで見たような・・・ってこれは丸っきり『ブレードランナー』じゃないか!
前作から9年(「ブレラン」から20年)待ってこのセンスってどうよ・・・ しかもこの映画のテーマらしい「人形」というのも「ブレラン」にもすでにある。セバスチャンは自分の部屋に人形をところ狭しと飾っていた。その中にプリスが人形の振りをして潜むシーンは、確かにレプリカントも「人形」と言えなくもないからこのシーンの意味は重要だ。人形が自分たちを作った人間(彼らから見れば造物主、神にも等しいだろう)に会いに行く、それは自分は何者なのか、何の為に生まれてきたのかという問うためであったろう。そして彼らは自分の人生にある意味潔く決着をつけた。
で、「イノセンス」なんだが、果たして「ブレラン」を超えたのだろうか?正直言ってこの映画の人形観はいまひとつ分からない。慰安用アンドロイドが次々に叛乱を起こす、となると人形が意志を持ったのか?あるいは誰かが操ってあるメッセージを発信しているのか?どちらかであろうが、どうも実際は・・・なんか未だによくわかんないんですが「女工が布団に針を入れていた」らしい(たかやまひろふみ氏の説)。これがうわべの決着で実は・・・(実は人形が自分の意志で動いていたのでは?と期待していた)という裏があるのではと思ったのだが、話はこれで終わりだという。しかもバトーが女工を罵倒して終わり。なんだこれは?
「人形の気持ちがわからないのか?」って分かりませんよ、地球上のほとんどの人類は分からないと思う。隣の人間の気持ちすら分からないのだから。誰からも理解されない、それでも俺一人だけでも人形の心を理解してやりたい、というまっとうな考えならばあのようなセリフは言えないはず。だいたいバトー自身、自分の体を酷使しているけど、それを操っているのはバトーの脳でしょ。脳と体は別物、というこの世界の発想からするとバトーも自分の人形を操っている、ということになるが彼にその自覚はあるのか。ひょっとして分かったつもりになっているだけなのでは?バトーは良いとしても素子さんは勝手に人形の体乗っ取ってしかも無茶なことしてぶっ壊しておきながら「人形も人間にはなりたくないと言うでしょうね」って、説得力ないんですけど・・・
結局、この映画の人形に対するスタンスが最後まで分からない。というかSF映画の設定で人形に対する認識がこの程度では何の為にこの題材を選んだのか分からない。まさか答えは「俺(押井さん)が人形が好きだから」という理由だけだとしたら、オ○ニー映画と言われても仕方がないのではないでしょうか(いやオ○ニー映画でいいじゃないか、というのであればもう論外、ついていけませんと言わざるを得ないんですが)。
今時実写映画でもやらないような現場検証のいかにもプロといった立ち振る舞いや、公安対警察の確執とか銃撃戦とか、後半のマインドコントロール攻撃の見せ方とか単発的なセンスの良さは認めるんですけど。
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