[コメント] 華氏911(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
前2作(『ロジャー&ミー』『ボウリング・フォー・コロンバイン』)は小さな地方都市を対象にしており、そこにムーア監督自身が画面に登場して走り回り、全米が抱えるマクロな問題を提起した。その肉体そのもので説得力を持たせていたと言ってよい。しかし今回はムーア監督の出番はあんまりない。議員に「愛国法の条文を無理やり読んで聞かせるシーン、議員に「息子をイラクに出兵させませんか」と迫るシーンなど本来もっと引っ張るべきシーンがやけにあっさりしている。いや、実際、あのシーンを延々と1時間ぐらいやっていたら、それこそ映画的だったかも知れない。だがそうしなかった。そこがこの映画の物足りない点の第一だ。
そうせざるを得なかったのだろう。今回、対象が大きすぎ、情報量も多すぎる。 監督が出てこなくなった分、既存のフィルム、ビデオの選択、編集にパワーを集中する。しかしながら編集されたシーンのセンスには目をみはる。よくこんな映像を見つけてきたものだと感心する。その映像の中心は「顔」である。
TV出演直前の化粧中の大統領、高官たちの情けない姿もそのまま風刺画のようで面白いが、私が心を打たれたのは、黒人の投票権が不当に剥奪されたと抗議する下院議員たち(全員黒人、民主党員)を次々と映し出すシーンだ。彼らは議会でまっとうな主張をしているのだが、上院議員(もちろん民主党員だが全員白人らしい)1人の承認がないと却下される。次々と却下される・・・その顔に浮かぶ、怒り、悲しみ、諦観が画面に定着されていく、これはまさしく映画ではないか?USAの民主主義が致命的打撃を受けた瞬間。
その後「同時多発テロ」を目の当たりにして泣き叫ぶ人々の顔を映し出すと、その報を受けた大統領の呆けたような顔を執拗に映し出す。そのあまりにも対照的な表情に、人は政治の大した知識がなくとも、その異常さが分かってしまうだろう。
そして「愛国法」がなしくずしに成立する。まさに『華氏451』の世界はシャレじゃなく本当にやってくる。だが「仕方ない」となんでもないように語る市民。
映画はフリント市で職のない若者(やっぱりほとんど黒人)の顔、イラク戦争本番の極限状態の兵士の顔、顔面を損傷したイラク人、息子を失ったフリントの女性の顔を映し出す。そして必ず大統領のノッペリした顔と対比させられる。まったく見事なモンタージュである。出来合いの映像をコラージュしてるだけじゃないか、という意見もあるだろうが、人間に対する並外れた洞察力がなければ、ここまでできません。
また、イラク戦争そのもの描写もその編集力によって相当な迫力になっており、ちょっと『フルメタル・ジャケット』を想起させる。この映画が最初の「イラク戦争映画」と見ることもできる。
ここまでよくできていながら、物足りない第二の点は、前作のチャールトン・ヘストンのような対決がなかったことだろう。彼は敢えて自分の「敵」と積極的にインタビューし、彼らに存分に話させることによってその矛盾を引き出す、という手法を得意としてきたが、今回その辺りも弱い。クライマックスが反戦に目覚めたライラ婦人とのインタビューというのは、感動させられたものの、どうも決定打ではないような気がする。
確かにバリケードに守られ、屋根に銃を持った兵士が巡回しているホワイトハウスの映像には慄然とさせられたが。
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