[コメント] 闇の子供たち(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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なんだこのラスト。「ひょっとしたらあなたも“隠れショタ”かもしれませんよ?」とでも言いたいのだろうか。冗談じゃないって。どう想像しても小学生男子のケツの穴なんかに勃起しないですよ。
そりゃ私だって風俗くらい行ったことあるし、「ロリ萌え〜」とか「ショタ萌え〜」とか言ってる人たちの気持ちがまったく解らないわけじゃないし、「神木きゅんかわいい」と思ったことだって実際あるし、一概に「ロリショタは病気だから捕まれ、むしろ死ね」と思うわけじゃない。だけど、実際に海外で子供の身体を買うという行為は明らかに“一線を越えたモノ”であって、そうした犯罪行為に手を染めた人物を主人公に据えて「異常性癖」という問題を安易に一般化・普遍化するのは非常によろしくないと思うんです。こんな設定を最後に持ち出したことで、観客はもともとありもしない“自分の心の闇”と向き合うことになる。個人的な問題として捉えることが強いられてしまう。
こうした物語のアプローチは、「子供の命が蔑ろにされている社会が存在している」という作品のテーマから、観客の思いを遠ざけていると思うんです。本来、「金持ち外人が金にモノを言わせて貧乏な国の子供の命を買いあさっている」ことを伝えるべき映画であったはずで、性的欲望はその一例でしかなかったはず。もうひとつ、映画は「生きたままの臓器売買」という、性的嗜好とはまったく関係のない「システム」の問題についても語っていたはずなんです。それなのに、物語は主人公に首を吊らせてそちらの問題を放り投げてしまっている。
私たちが自分の性的嗜好とどれだけ向き合ったって、システムとしての臓器売買は無くならないですよ。むしろ訴えかけるべきは私たちの個人的嗜好ではなく、社会に生きる者としての正義感や倫理観といった“表”の部分だったんじゃないかと思うんです。そのひとりひとりの正義感や倫理観が機能し、社会正義が正常に機能してゆくための道筋や糸口を示すことこそが、この映画が最後に謳い上げるべき主論だったんじゃないでしょうか。正直、この「主人公がショタでしたオチ」は完全に逆行してると感じます。
ついでに言えば、小児売春を取り扱っている映画のエンドロールにロマン歌謡を流す感覚も理解できない。ご丁寧に歌詞まで字幕で出して、その歌詞の中に「娼婦」という単語が出てきて、その「娼婦」に(はな)というルビを振る感覚。アジアの貧国じゃ「魂に死化粧」なんてする前に子供たちはエイズや臓器売買でどんどん殺されてるし、「赤い血の如き涙」より先にケツの穴を裂かれた児童が血を流してる。この歌謡曲の持つ情緒がまったく通用しないレベルの現実をモチーフにした映画じゃないのかって。もうあべこべです。
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