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[コメント] 私は貝になりたい(2008/日)

今回橋本忍は脚本に加筆したと言う。私は思う。時代に迎合し、テーマすらすり替えた本作が「完全版」だと言うのなら失望する。巨匠橋本忍は逃げただけだ。
sawa:38

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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フランキー堺が演じた前作は私にとって「映画」の原点なのである。また、私にとっての「戦争観」・「政治的信条」もこの作品によって決定付けられた点が多いのだ。だからこそ、今回のリメイク決定には大きな期待と反吐が出るような反発心が綯い交ぜになった複雑な想いがあっての鑑賞であった・・・

今回は前作と違って妻のパートが増え、夫婦の愛情やら家族愛が理不尽に引き裂かれる作品に仕立て上げられていた。そりゃそうだろう、今の戦争を知らない鑑賞者(当然私もだが)にとって、戦犯だとか死刑とかは現在の自身の生活環境からはまったく無縁の状況であろう。現在の我々からするとリアルに実感できる最大の悲劇は、愛する者たちとの別れぐらいだ。

それでは私が震えた前作のテーマとは何だったのだろう。前作にもコメントしたのだが、初号が草創期のTVで放映された時そしてその後映画化された時の鑑賞者たちは皆戦争体験者であった。さらに多くの男達は戦場体験者であり、誤解を恐れずに言えば敵兵や現地の民間人を何らかの形で殺めた経験を持つ者が多かった時代である。

どこのどんな統計を見ても従軍した兵士の中で「ヒト殺し」の経験者の数字は無い。いったいアノ戦争に従軍した兵士の何割の兵士がヒトを殺すという体験をしたのだろうか。このコメントを読んでくれている方の父や祖父は「本当のところ」どうだったのでしょう?戦後生まれの私達にとって人を殺したという経験者は希少であろう。

だが、前作公開時は明らかに違った。当時の鑑賞者たちは皆、心に傷を持って鑑賞したに違いない。ヒトを殺したというその行為にカタルシスを感じていた者もいるかも知れないし、一生胸の奥深くに記憶を沈めようとした者もいただろう。また砲撃や爆撃という間接攻撃の為、ヒトを殺したという実感がない者もいるだろう。いずれにしても「死」が身近だった時代、「ヒトを殺す」という行為もありふれた行為のひとつだった。

だから彼等は震えながら鑑賞したのだ。清水豊松の意外感は、明日自分に適用されても不思議ではない社会だったのだ。

しかし、現代ではこういった真の恐怖は身近では無い。だからこそ恋人や妻や家族との別離だなんていう二次的な恐怖へテーマが変遷してしまったのではないだろうか。陳腐とまでは言わないが、「よくある戦争映画」の別離と違いは際立たない。

時代が移り変わったのだからしょうがないのかも知れない。しかし脚本はさらに主題を軽くするかのように「逃げる」。それは清水豊松の銃剣は捕虜の腕を掠っただけであったとする件である。前述のように「ヒトを殺した」経験者が至極当たり前だった時代にあって、前作の豊松の姿は平凡などこにでもいる男だったのに対し、今回の豊松は腰抜けだったかも知れないが、命令に背いてでも決して人殺しなどしなかった稀有な男になってしまっていた。しかも「冤罪事件」だという。この時点で私は脱力した。

前作の清水豊松は、時代や軍隊という巨大なるモノにただただ踏みつけられて死んでいくエキストラのような男だった。私達の父や祖父はたまたま運が良かっただけなのかもしれない。対する今回の清水豊松は、軍隊生活のシゴキに敢然と反対意見を述べ、しかも冤罪に苦しむという当時では珍しく勇敢な「悲劇のヒーロー」になっていた。

これは似ているようで否なる物語だ。全然哀しみがない、恐怖もない。そして現実感もない・・・・巨匠橋本忍は逃げただけだ。

(評価:★2)

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