[コメント] 悪人(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
いくら現実に似ているとは云っても当然これは虚構なのだから、虚構の組立てに際して仕掛けられたデフォルメを複数の箇所にわたって指摘することもできる。むろんそれは批判されるべきところではまったくない。私の不満はむしろ、それがときに私たちの理解や共感を振り切って圧倒してしまうほどの飛躍として提示されてはいない点にある。深津絵里と妻夫木聡はなぜ惹かれ合うのか。映画を見ればそれは実によく納得できる。これはとても大事なことだ。しかしながら(「犯罪者に共感する女性」という点で比較すれば)私は『接吻』における小池栄子の心理の不可解のほうをより面白いと思う。それを「映画の原理」なるものにまで還元して語る傲慢は犯さないにしても、私は「分かる=安心する」こと以上に「驚く=圧倒される」ことを求めて映画を見る観客であるという立場表明は改めてしておきたい。
深津と妻夫木の逃避行がいとも容易く目的地である「灯台」に辿り着けてしまうというのもどうだろう。(『パーフェクト・ワールド』や『暗黒街の弾痕』や『続・激突! カージャック』のように)「決して辿り着けない」ことの映画的エモーションを期待してしまうのは、やはり私が「古典性」やら「映画らしさ」といったものに囚われすぎているためだろうか。少なくとも、深津が電話で妹に云う「もう少しだけ一緒にいたい」はちょっと間が抜けている(もう少しって具体的には幾日間だよ? という曖昧)。「後でどうなろうとも構わないが、灯台に着くまでは捕まるわけにはいかぬのだ」でなければ格好つかない。
けれども、土砂降りがしっかり土砂降りであったり、被写体の顔に異様な照りを与えるライティングで彼/彼女を生々しく捉えるなど、全般に高水準の撮影を維持したこの映画にあってもこの灯台シーンがとりわけ力を込めて撮られていることはよく了解する。逃避行の二人にとってなにがしかの感慨はあったにしても、辿り着けたところでそこに広がるのはデッドエンドの風景であって、結局は「何もない」「どうにもならない」という虚しさも写し込まれていると思う。ところで、この「灯台」にはどのようなイメージが重ねられているのだろうか。小説が原作であるということなのだから多分に文学的なそれでもあるのだろうが、私と云えば『喜びも悲しみも幾歳月』を思い出して勝手に胸を打たれてしまったということを白状しておく。同じ「灯台の男女」であるというのに、高峰秀子・佐田啓二と比べて深津・妻夫木のなんと不憫なこと!
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