★2 | 60年安保ド真ん中で撮られた『夜と霧』の10年後に於ける対置作として企てられたのだが熱波は去り己も醒めてな〜んにもなくって御免なさいってなもんである。遺書であるフィルムには写すべきものは無く迷宮への誘いに大島自身が嵌まり込んで漂泊する。 (けにろん) | [投票(1)] |
★2 | 全共闘の程度の低さを記録して無惨。終わらせたいという衝動を何か高級なものとはき違えているのが傍目に滑稽。 [review] (寒山拾得) | [投票(1)] |
★3 | 『20世紀ノスタルジア』の原点?橋田壽賀子ばりの長台詞棒読みによる感情表現の抑制は学生運動におけるアジ演説の独特のイントネーションに通じるところがあって時代を映す。学生運動の終焉を暗示するようなラストも印象深い。
(TOMIMORI) | [投票] |
★3 | 原正孝の脚本はバカがつくほど正直に心情を露呈しているのだが、それが「何か」に成り得るとはとうてい思えず、若者を珍しくも優しく見つめる大島の視線も柔すぎる。成島東一郎と編集の浦岡敬一が参加していなっかたら目もあてられない駄作になっていただろう。
(ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★4 | 東京における学生闘争の敗北は、新たな英雄とそれにまつわる伝説を生まざるを得なかった。パリで炎に焼かれた女学生のように、東京で機動隊員に蹂躙された少女のように、「フィルムを遺言として死んでいった男」の物語は午後の妄想から現実になってゆく。 [review] (水那岐) | [投票] |
★5 | 都市の風景こそヌーベル・ヴァーグ (まご) | [投票(1)] |
★5 | 原正孝の映画だ。あいつ=自分という主体と客体が重なることで、現実と過去の風景を追いつめた。しかし、この映画は全く非現実的な欠陥がある。固有名詞を失った人物が錯綜しているからだ。この頃多くの貧しい映画作家(大島渚を含む)が固有名詞を失う恐ろしさについて映画化している。『砂の女』なども同様であろう。 [review] (chokobo) | [投票] |
★4 | みんな堂々と棒読み!でもラストは印象深いなあ。 (太陽と戦慄) | [投票(2)] |
★5 | 「風景」の扱いに目から鱗が落ちたよ。音のスカスカ感もグッド。 (tikitiki) | [投票] |
★3 | これは確か風景映画。脚本の原正孝さんはまだ10代。闘争後の全共闘映画です。 (ぱーこ) | [投票] |