[コメント] この世界の片隅に(2016/日)
いつもボォーとした夢想少女すずの、半径数メートルで起きる「世界の片隅」の細部を描き連ねることで、戦時下という特殊な状況に過剰に感情移入することなく私たち鑑賞者も、いつしか彼女とともに日常という「あたりまえ」が生み出す幸福へと導かれ同化していく。
スケッチブックのなかに自分の世界を創り出すことに没頭する少女。その切り取られた小さな世界こそが、彼女にとって実感としての「世界の片隅」なのだろう。それは、政治や経済といった世の中の大きな動きに比べれば、取るに足らな些事の積み重ねに過ぎないが、少女にとっては日常という「世界のすべて」なのだ。
嫁としての生活に没頭するすずには、海の向こうの戦争はどこか別次元の出来事のようだ。だが、ときおり死の気配が顔を出し、彼女の周りの日常は確実に浸食されていく。日々、気づかぬうちにも浸食は繰り返され、ついに彼女の「世界の片隅」にも爆撃という暴力が姿を現す。
それでも、物語は執拗に「日常」に回帰し生活に立ち返ることで、生きることの幸福を描き続ける。(−だからこそ唯一、玉音放送を聴いたすずの紋切型の叫びは、作品の美徳を壊す違和感があった。惜しまれる−)。
終戦をむかえたあとも、家々からは米を炊く煙が立ち上り、すずたちの営みはこの後も連綿と続き、今日へと至るのだ。すずさんは、去年90歳で逝った私の母と同い年だ。
(2016年12月9日記)
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