[コメント] カメラを止めるな!(2017/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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37分時点のエンドロールで、なんだよこれで終わりかよ、このクズ・ゾンビ映画みたいな感じのささくれだったノリで出てっちゃった人がいたのだ。彼は出て行ったが最後、我々とはもう別の世界を生きていくことになるのだ!
なんて言ってみたくもなるほど、ご機嫌な映画でした。
わたくしなんぞ、ここ数年で記憶に残っている映画が『シン・ゴジラ』と『この世界の片隅に』くらいしかない、大の映画音痴になってしまったので、この作品が映画としてどうかなんて知ったこっちゃありません。ただ三本目に数えてもいいかなってくらいゴキゲンな気分になっちゃいました。
まったく、どいつもこいつも一生懸命なようで、どいつもこいつもやっぱりろくなもんじゃないんです。たとえば監督がプロデューサーと何を重んじるのかを口論する場面があって、監督は妙にムキになって「いや、テレビの前の視聴者でしょう!」とか言うんだけど、これも真実じゃない。真実なんかであるはずがない。映画や映像へのこだわりや情熱なんてとっくに捨て去ったもんが、んな都合よくもどってくるのは映画のなかだけですね。じゃあ何でこの瞬間の監督に我々オッサンが感情移入できるのかと言えば、「とにかくこの企画を、仕事を成立させなければ、もう自分はいよいよただのクズになる」という強迫観念、拳王様が背後にひかえた世紀末ザコの「やらなきゃ殺されるだけ」感とも似た、いわば現実を生きる我々オッサンのアレですね。とにかく成立させるためには、なりふりかまわない、なんとなれば嘘で塗り固めてでもというか、そのB級アイドルじゃなくておまえこそ嘘だらけだろって話です、身もふたもありゃしないんです、熱を帯びるんですがどこまでいっても空虚なんです、すみっこが落ち着くんです、というのが追い詰められてドライブしていく過程がなんとも周到に練りこまれていて舌を巻くんですが、そうして見終わってみて思い出すのはワンカットの冒頭でカットがかかった直後の監督が初めてセリフを発する瞬間の顔です。これを我々観客は当初、作家の作品へのこだわりが発露したゆるぎない表情と見るんですが、実はそれはまったくの錯覚で、本当はこだわりを捨てて生きてきたブレブレのオッサンが追い詰められて腹をくくった表情であったという、二重構造が織りなした、実に映画的な瞬間だったと後になってわかるんです。
あれ? あの出てちゃった人は、ひょっとしてこういうのをもういちど確かめたくて、もういちど見てたのかなあ。
ただ、ちょっと思うんですが、この映画、ゾンビ映画というジャンルのゆるさに頼ってるところが良くも悪くもありますね。そこかしこおかしくても何となく成立してしまうのはゾンビのゆるさというか、ふところの深さというか、それに完全にあぐらをかききってリスペクトをはらっている余裕はさすがにないというか、まあこの場合払わないほうがむしろいいんですが、わたしなんか適当なゾンビ好きなんでまだいいんですが、適当でなく愛する特撮映画でこれをやられたらテメーまじめにやれコラとまた人間の小ささを露呈するところであったかもしれません。
あれ? あの出てちゃった人、ひょっとしてガチのゾンビ好きだったのかなあ。あの出てっちゃった人の幻想は広がるばかり。
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