[コメント] 遠雷(1981/日)
『祭りの準備』と対を為す作品。
農村に迫り来る団地群、ビニールハウスで大切に育てたトマトの暴落。それでも青年はこの土地で生きていく、それが当たり前のように。
兄は農家を嫌って都会へ出た。青年にも逃げ出す機会も理屈もあるはずだ。しかし青年は家と土地を守り生きていく。
それが意地なのか呪縛なのか。どうもそうでは無いらしい。もしそうならば、映画的(小説的)にももっとドラマティックな展開で楽しめただろう。物語は友人の犯罪という映画的なエピソードは別物として淡々と日常を描く。それは平板ですらある。
青年は映画的ヒーローとは程遠く、平凡なあまりにも平凡な田舎の青年であった。勇気が無い訳でもなく、かと言って田舎を飛び出すでも無い。当たり前に農家を継ぎ、嫁をもらい、子供を作り次の世代に受け渡していく。ほとんど多くの日本人の典型たる姿が描かれている。
そのリアルさは痛い感覚を誘う。アト僅か満たされない「何か」が判らないもどかしさ。それを見つける事もなく日々の作業に押し流され、結婚という「期待」のイベントがそういった閉塞感を包み隠す。
青年は「勝ち組」でも「負け組」でもなく、その他大勢の平凡な「私たち」だ。自分の人生に映画のようなドラマ性があったらなと思う「私たち」にとって現実という「鏡」を見せられたような作品だった。だから、鑑賞後に不満というか「もやもや感」が残り、すっきりとはしない。
でも、この「すっきりとしない」感じがたまらなく良い。
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