[コメント] パラサイト 半地下の家族(2019/韓国)
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冒頭の、半地下の窓から見える、目線の前を自動車のタイヤが転がっていく異空間ぶりや、半地下息子が金持ち一家の邸宅を初めて訪ねるシーンでの、まさに「仰ぎ見る」カット、寄生完了後にアクシデントに見舞われた半地下一家が邸宅から脱出したあと、半地下への帰路が下へ下へと異界巡りのように長々と続くうえ、一家を住み家から追い出す水が「下」から迫るなど、映像的には感心する点が多々。
ただ、作劇としては、金持ち一家が息子の誕生祝でキャンプに出た夜に、半地下家族が豪邸を我が物にして散らかし放題飲み放題するシーンから、ダレてきた。キャンプが洪水でダメになった金持ち一家が急に戻ってきて緊迫感が醸し出されるはずの展開も、サスペンス演出が今一つ。家政婦として潜り込んでいる母が電話で注文された麺を作るシーンなど、この母のキリッとした顔はよかったんだが、その顔で大見得切ったほどの展開がない。その後、リビングに居座った金持ち夫婦の目を盗んで、隠れていたテーブル下から半地下一同が脱出するシーンなども含めて、危機一髪ミッションとしての工夫が足りない。元いた家政婦を追い出すために、彼女のアレルギー源である桃を半地下家族の連携プレーで振りかけるシーンのような、パズル的演出が行なわれていれば緊迫感と面白みがあったろうに。
半地下一家の息子は、大学受験に失敗し続けているが、それだけ勉強しているのでそこらの大学生なんかより英語はできるだろう、と見込まれて家庭教師の代役を任される。娘は、美大を目指す浪人生で、大学出の証明書を偽造したり、ネットで見た情報から、金持ち一家の息子の絵の心理分析をしたり、すでに運転手として潜り込んでいた父づてに金持ち一家の主に渡す高級人材派遣会社の名刺を偽造して(母を家政婦として潜り込ませるため)、主から「高級そうなデザインだ」と言わしめたりする。どちらも、社会的な地位は得ていないが、それを有していると思わせるだけのセンスはある。この辺は、社会的に認められることと、実際的な価値の不一致への諷刺ともとれる。
一家が内職でやっていた、ピザ屋の箱作りでは、四分の一だかなんだかがちゃんと作れていなくて文句を言われるのだが、そうした、正規の仕事では手抜きや雑さがあるのに、偽計によって金持ち一家に寄生する計画では緻密かつ、その振る舞いも計算され洗練されている。詐欺という、社会規範から逸脱する行為においてのみ、社会規範に見事に沿ってみせる一家。
一方、金持ち一家の息子は、姉によると、アーティストぶってわざと奇行をしていると言われている。インディアンにハマっているのもキャンプの指導者の影響らしい。逸脱した個性と見えたものも実は外的に与えられたイメージに沿っているにすぎず、その意味では「詐欺」なのか。とはいえ、その絵は確かに幼い子が描いたにしてはセンスがありそうではあるのだが。
また、全体を通して台詞に英語が混じったり、半地下息子が妹の英語名をでっち上げたり、娘が、「ベテラン運転手のおじさん」=半地下父がシカゴに仕事の場を移したなどと嘘を言い、ブランド価値を高めてみせたりと、韓国という国そのものが、アメリカという規範に擦り寄っているさまも見て取れる。それを思うと、この作品がアカデミー賞受賞で大いに沸いたこと、東アジアの快挙だとして自分らもワンチャンスあるかと日本まで色めき立ったことなどが、皮肉に思えてくる。
半地下父が潜り込むため、娘は、初授業の際に乗せられた車にパンティを落として、運転手が後部座席でカーセックスをしていたかのように装う。主は、「充分に金は渡してあるのに。俺の領域に精液を落としたかったのか?」と、他者の侵入を嫌悪するが、そのせいで却って他者の侵入を許してしまう。主は、半地下父の働きぶりは評価しつつも、彼の臭いが後部座席という「私の領域」に侵入してくるのを嫌がるのだが、キャンプがダメになった夜、半地下一家がテーブルの下に隠れている傍のソファで、妻とセックスを始め、恰も、豪邸を我が物としていた半地下一家の領域に逆に侵入し、「後部座席でのカーセックス」のようなものを行なっている。
半地下一家が豪邸で酒宴を開いたシーンで一気に緊張感や綿密さが損なわれ、そこから作劇そのものも弛みや雑さが生じたように思う。終盤の、元家政婦の夫、借金取りから逃れるために、元の持ち主だった建築家が隠していた地下室に住んでいた彼が、金持ち一家の息子のサプライズ誕生パーティに闖入して殺傷を始める展開など、中盤辺りからの雑さが極まった感がある。とはいえ、血まみれの顔で地面に横たわり、主に向かって「リスペクト!」と叫ぶさまの可笑しさとグロテスクさは嫌いじゃないんだが。
この地下室男はスイッチを押して邸宅の灯りを点滅させ、モールス信号を送っていたが、それを目にした金持ち一家息子は、キャンプの経験で読み方を知っているはずなのだが、特にこれといった行動に移らず、男の行為はムダに終わる。が、半地下父が主刺殺後に隠れ住んだ際には、息子に向けて送った信号がちゃんと伝わる。つまりは、関係が結ばれていなければメッセージは伝わらないということか。金持ち一家の息子にとって地下室の男は、或る夜に遭遇してしまった幽霊というトラウマでしかない。幽霊、つまり、見はしたが存在しない男。
半地下息子が、父を地下室から地上に引き上げるために、カネを稼いであの家を買う、と「計画」する結末は(半地下父は「計画に失敗しないためには、無計画でいればいい」と諭していたが)、彼が望む這い上がりへの道の長さや困難を観客に想像させる。想像させる、考えさせる結末というのはいいんだが、それよりも考えてしまうのは、金持ち一家の主は、殺されなきゃならないほど悪い奴だったのか?ということ。半地下父は、地下室男の臭いに嫌悪の表情を浮かべた主への怒りから衝動的に刺してしまったのだが、これを観客に納得させるには、地下に追い込まれ、その臭いを体に染みつかせるに至ったことの不当性や、金持ち一家が金持ちであることの不当性が、強く印象づけられていなければならない。そうした内面性にまで食い込まずに、外側から、格差だの臭いだのを描いているように思えてならない。金持ちが豊かに暮らしていられるのは、下層の人間に寄生しているからだ、といったような構造論的な視点でもあればよかったが、それがないせいで、エモーショナルな強度は弱く、寓話性も高まらない。
どうしても残る不完全燃焼感は、面白いことをしそうなキャラクターが沢山いるのに、いや、いすぎたせいか、充分にそれらを活かし切らないままに終わったせいもある。どうやらアメリカで、ミニシリーズのドラマになる「計画」があるらしいが、そうしたくなるのも分かる。半地下息子と金持ち娘、半地下娘と金持ち息子の関係など、それだけでワンエピソード作れそうだ。映画の二時間強で描き切るのは物理的にムリだとはいえ、描かれなかったその裏を感じさせるやり方くらいはあったろうに。半地下母さんが、金持ちの邸宅でその生活ぶりを見て、どう感じたのかくらい少しは見せてほしい。全編に渡り、どこか充分に血が通っていない感がある。幾らかは、血の通ったソン・ガンホの演技のおかげで隠れてはいるのだが。
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