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[コメント] 桜桃の味(1997/イラン)

キアロスタミって、前向きで純なパンク親父なのだと思う。
tredair

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







イスラム圏における自殺率は、他の宗教圏における率と比べ極端に少ないと言う。

その第一の理由はもちろん「教義に反するから」であるが、そのようなものは他の宗教でも(たいがいは)肯定していない(はずだ)。それではなぜ、イスラム圏では極端に自殺率が少ないのか。それは、そもそもイスラームというものが「宗教」という括られ方はしているものの本当は「生き方そのもの」であり宗教ではないので(イスラム教、という言い方をムスリムはしない)、生まれたときからイスラームの慣習に従いイスラームを日常として生活していると、「自殺しよう」という思考そのものさえ湧き起こりにくいからであるらしい。移民として他の宗教圏に移ると自殺率が高まる、という調査結果もあるそうなので、併せて考えてみるとその辺りの感覚は理解しやすいかもしれない。つまり、「イスラーム」は宗教であって宗教ではない宗教、拠り所ではなく生き方の指針そのもの、と捉えた方がより正確なのだろう。

また、イスラームといえば「聖戦としてのジハード」があるではないか、あれは考えようによっては自殺ではないか、と思う人もいるかもしれないが、一般にマスコミが「ジハード」としてとりあげるような「命を賭した」それは、あくまでごく一部の突出した価値観でしかない。確かに「ジハード」という概念はあるが、それはもっと広義な「自分の時間、力、財産、才能、および人生のすべてを捧げてアッラーに献身すること」であって、つまり、ここでも「指針」、ものすごく噛み砕いて(乱暴に)言えば「全力で理想に向かってがんばろう!」といったところなのだ。無論、命を投げ出す「必要」や「義務」はない。そして言わずもがな、(ご時世だしー、の単なる付け足しだけど)テロリズムも肯定してはいない。本来のイスラームは決して暴力を肯定したり死を美化したりはしていないからだ。

ともあれ、この映画はそのようなイスラム圏に生まれ育ったと目される(どうみてもエリート階層にあるらしい)一人の男が、教義においても禁止されているはずの「自殺」を決意し、その最終仕上げのための介添え(もちろんこれも許されるものではない)を探す、という物語であるので、そういったイスラーム的な背景について考えながら見るとガゼンおもしろくなる。そしてラストにも納得せざる得なくなる。監督は中途半端な答えを出すべきではなく、あえてそうせざる得なかったのではないだろうかとさえ思えてくる。 西洋的な視線を多く持ってはいるものの、それでもやはり、イスラム圏に生まれ育った者として、彼をあの状態にしたまま映画を終わらせるわけにはいかなかったのではないだろうかと。それともあれは、来世を信ずるイスラームに従った、幸福な光景に過ぎなかったのだろうか。

キアロスタミがカンヌでの記者会見で語っていた「この映画を撮るにあたって最も影響を受けた作家はオマル・ハイヤームです。」という言葉も興味深い。イランの代表的な詩人、オマル・ハイヤームの有名な四行詩集「ルバイヤート」は、いっけん悲観的なうえに飲酒を賛美するというある意味「反イスラーム的」、けれども実際のところ最も主要なテーマは「積極的に現世を楽しむ」という普遍的な魅力に満ちあふれた作品だからだ。つまり、キアロスタミが最も訴えたかったことは「生」であり、それ以外の何ものでもないということなのだろう。そう考えると、やはりあのラストシーンは「あえて」であって、その「あえて」の理由は「生を愛おしむ気持ち」だと推測せざる得ない。

生きることは「何か」に強制されて享受する「義務」ではない、けれど、だからこそ満喫しようではないか。そこに自ら選択できる「自由意思としての死」があるならば、なおさら「生」を大切にしようではないか。キアロスタミが観客に伝えようとしていたことは、おおかたそんなことなのだろう。その上で決して「自殺」を完全否定しているわけではないだなんて、ずいぶん洒落ているではないか…。

まんまとしてやられたという気がしないでもないが、ドキュメンタリー的な映像を綿密に再構成し物語や意味を与えたこの映画を見ながら、私は無性に「自分が生きている」ということを意識させられた。私は今、自ら「生」を選びその結果ここに存在しているのだと。

そう、死んでしまえば桜桃の味はもとより、こんな素晴らしい映画と出会えるチャンスさえ失ってしまうのだから。

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*ここに書かれているイスラームについての知識は、すべて私がこれまで見たり読んだりしてきたイスラームに関連する本、またはイスラームの友人たちから直接に得たものです。もし、ムスリム(マ)の方で宗教的な側面での間違った見解等があると思われる方は、どうぞメールください。訂正もしくは削除させていただきます。

2001年9月14日

*イスラームについての説明箇所を一部補足・訂正しました。

2001年9月22日

(評価:★4)

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