[コメント] ガス人間第一号(1960/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
これは「文学作品」である。
題名からは想像もつかない「物語」がこの作品には入っている。
メインのストーリではなくその奥に。
映画のなかで舞台の演目が「情鬼」。もしかしてその演目名が「隠された物語」の題名だろうか。
話は題名どおり、ガス人間の話だ。ガス人間が主人公である。しかし良く考えてみると本当の主人公は誰であろうか。まず題名から考察してみるとガス人間が主人公だ。彼が事件を起こし警察が追い詰め悲しい最後を遂げる。またガス人間の特撮がこの映画の技術的な見せ場だ。
次に映画の話を引っ張っていく役を考えてみる。観客と同じ目線を持つもの。視線そのものは誰か。事件を追っていく刑事だ。彼が行動し話が進んでいく。ということは彼が主人公なのだろうか。
最後にこの映画のヒロイン藤千代。ファーストシーンで犯人を捜すとき観客の目を持った刑事は庭先から鬼の面をかぶった舞を観る。その舞はその舞っている場だけが現実ではない幽界の様。刑事は我を忘れて釘付けになる。私たち観客も釘付けになる。そこで警官の声が聞こえて我にかえる。舞をしていた人物は鬼の面をとる。そこにはこの世の人ではない美しい藤千代がいる。またそこに霊界できたように。 このシーンで彼女はこの映画のもうひとつの世界をつくりだした。そして彼女の美しさの虜になったガス人間水野とまた彼女の存在に只ならぬものを感じた刑事とまた彼女から目がはなせなくなった我々観客が彼女を中心に近寄っていく。ラストは彼女がこの物語の幕引きをする。ガス人間とともに現実世界でないところに。まさに彼女こそこの映画の主人公ではないか。
ここまで主人公が誰かと迷うぐらいキャラクターのたったまた人物描写の素晴らしい映画は「特撮映画」という枠で収めるのはもったいない。また特撮のメインになるガス人間が主人公でないとしたら、この作品は「文学」と言ってもいいだろう。
この映画の物語を簡単に言うと、連続銀行強盗の事件が起こりそれを追っていくと藤千代という女性が怪しいと刑事はにらむ。しかし犯人がある日名乗り出てきて警察の前でガスになって消えていく。そして藤千代の舞の舞台をしないと次々に犠牲者がでると脅す。警察はなすすべがないが藤千代とガス人間の生い立ちを追っていくにつれ最後の決戦を決める。それは藤千代の最後の舞台。演目名は
「情鬼」
本当の物語はこの舞の中にあるかもしれない。しかし私たちにはその舞の意味がわからない。舞っている藤千代しかわからないかもしれない。彼女の美しく悲しい舞の中に存在する「物語」、それは炎とともに消えてしまった。
我々は現実に取り残された刑事とともに霊界に消えたガス人間と藤千代の姿をただ傍観するだけだ。
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