[コメント] ミツバチのささやき(1972/スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この物語の本当の主人公は、本当の夫(恋人?)の帰りを待つ母親と、混乱した社会の中で地位を守りきるために自分を欺く父親(たぶん、本当の父親ではないのだろう)の二人ではないだろうか。
この二人の抱える罪と悲しみ。それは、恐怖統治下の社会において、自分や家族を守るために圧制に従い沈黙した多くの一般市民が、とりあえずは平和な日常の影に共通して抱えていた罪と悲しみだったに違いない。
まだこの悲劇を告発できるような時代ではなかった。二人の罪と悲しみは、母親の書く手紙と父親の書くミツバチの観察日記に記されているが、二人の少女の無邪気さに変換されることによってさらにベールをかけられている。
フランケンシュタインに心を寄せることは、思想的弾圧をうけ、社会から追い出された自由な精神への追悼。危険な遊びや残酷な遊びに幾度となく近づきながら、要領良くもとの日常に帰るイザベラは、社会の中でうまく生き残ることを選んだ人々の代表なのだろう。それ自体は仕方のないことだった。誰がそれを責められるだろう。しかしアナは、見てしまったものから目をそらせなかった。
※他の人のコメントを見ていると、子どもの純真さそのものがテーマだと思われている方が多いので、それも一つの見方だと思いますが、私の見方の根拠も少し説明したいと思います。(結末を具体的に書くので映画を見ていない方は読まないでください)
この家庭は一応養蜂が父親の仕事のようですが、かなり裕福です。メイドもいますし、いい服を着て撮った写真もあり、死んだ男を確認する場面では軍服まで着てやってきます。しかしミツバチの観察日記に書かれる言葉は苦悩に満ちています。「自由になるには死しかない。死ぬためには巣から離れるしかない。」社会の中で自分を欺き一定の地位を守りながら、そのことが彼を苦しめています。
死んだ男とこの家族の関係は明確には語られていませんが、母親の書く「手紙」にヒントがありそうです。父親は死んだ男の遺品のオルゴールつき時計を食卓で家族の目にふれるように無言で弄びます。その後のシーンで母親は手紙を火にくべます。おそらく、手紙の相手があの男で、彼が死んだことを知ったためでしょう。そして、その男は、話題にのぼらせてはならない存在。また、手紙の内容から見て、母親にとってかけがえのない男性。ひょっとしたら、子どもの父親。
映画の中で、母親が弾くメロディ。スペイン人なら分かるんだと思いますが、フラメンコの一種で、ソロンゴという民謡です。その中でも良く歌われる歌詞は、スペインの大詩人、スペイン内戦に巻き込まれ、思想的犯罪者としてフランコ政権に処刑され若くして生涯を閉じたガルシア・ロルカの詩です。哀愁に満ちた、叙情的な詩です。映画ではピアノのメロディだけですが、やはり、それが限界だったのでしょう。しかしはっきり描けなかったことがまた、この映画を美しくしています。
調べてみると、この映画が作られた当時はまだフランコ政権末期でした。やはり、口には出せない時代だったようです。私から見るとこれだけ描いて本当に大丈夫だったの?とも思ってしまいますが。
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