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[コメント] ゴーストワールド(2000/米)

「前野悦郎」になって「ま、ええんとちゃいますか」とイニードに言ってあげたかった。
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ほとんど誰もご存知ないでしょうが、「前野悦郎」とは、僕の2001年度の厳選10本のうちの1本、映画『ココニイルコト』で堺雅人が演じたキャラクターです。

長い引用になりますが、最近読んだ『<希望>の心理学』(*1)のプロローグに次のような一節があります。

 ―何が大切といって、私はひとが生き続けることが何よりも大切ではないかと思う。そして生き続けるうえで最も必要なことは希望をもつことだと考えている。ただし「生きていれば、いつかよいことがある」「きっと苦労は報われる」「結局はなんとかなるだろう」などという希望ではない...(中略)...何ともならなくともいいと思えること、このことのなかに希望がある。このことに希望がもてなければ、結局は間違いなく、すべてのひとが絶望の淵にたたき込まれ、とうてい生き続けることはできないように思われるのである。―

ちょっと五木寛之のベストセラー『大河の一滴』に共通するものもありますが、これを読んで、本を買うことにしたのですが…。兎に角、この「何ともならなくともいいと思えること」というのは、現実では、「わかっちゃいるけど」非常に難しいことでしょう。

かなり昔、確かまだカルロス・ゴーン氏が来る前のNISSANのCMで、イチローが「変わらなきゃ」のキャッチコピーを連呼していたと記憶しています。結局NISSANは自力では変われなかったわけですが、それは置いといて、特に高校を卒業したあと、この社会で生きていくには、常にこの「変わらなきゃ」という半ば脅迫観念的な波に背中を押され続けることは避けられないでしょう。しかも<ポジティヴ(positive)><価値ある(valuable)><有意義(meaningful)>な存在であることを要請されがちなのですから、それはある意味、かなり暴力的と言えるでしょう。

多くのコメンテーターの方々が、イニードのキャラクターに自己投影されておられますが、彼女の<ダメさ>ってのは、一要素でも、きっと皆にあてはまるものなのでしょう。イニードが、最初は「こしゃまくれて、ヒネくれたガキ」にしか見えず実に憎々しかった姿が、彼女が、人と、特にブシェ〜ミ(ペペロンチーノさんの粗筋good!)と関わるにつれ、徐々に内面が垣間見られ、同時に愛しくも憎らしい、ひとりの生身の少女に見えてくるところ、胸がつまります。「人と関わる」というのは、こういうことなのだなあ、と思うのです。

タイトルの『ゴーストワールド』(Ghost World)から、いささか短絡的ですが、ポール・オースターのニューヨーク三部作のひとつ『幽霊たち』(原題:Ghosts)(*2)を思い出しました。内容的は全然重なるところはありませんが、ポール・オースターの一連の作品から感じられる、「ここでないどこか」に生きる「自分でない誰か」という、その現在と現実に対する潜在的な不安は、この『ゴーストワールド』と主人公イニード(と自己投影する要因)に共通するものだと思います。

また、カフカのすあまさんもご指摘のベケットの『ゴドーを待ちながら』も、その「潜在的な不安」という意味でも、共通項があると思います。実は、バスを待つ老人のエピソードは、中国初のノーベル文学賞受賞作家高行健の初期の戯曲『バス停』(*3)にも類縁性があります。この『バス停』という話は、まさに『ゴドーを待ちながら』に強い影響を受けた作品で、路線廃止となったバス停でバスを待ちつづける、人々を描いた、風刺・不条理・喜劇です。興味のある方は是非。

さて、僕がなぜ『バス亭』を持ち出したかと言うと…はネタバレになるので、後ほど書きますが、人と関わる、付き合うということ、それはすなわち取替えのきかないジブンと付き合っていくということ、その難しさをしみじみと感じました。

〔★3.5〕

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以下、ネタバレです。

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なのに、なぜ、4点ないしは5点ではないかというと、やはりラストにあります。

単純な僕の頭では、あの老人がバスに乗ったのも、「路線廃止になったけど、親切な最終近くのバスの運転手さんが、事情を知ってて、わざわざ乗せてあげてるのかしらん」なんて思ってました(笑)。だから、あのラストは「ん???」だったワケでして、どちらかと言うと、ペペロンチーノさんやミイさんのように、「別の町に行くのねん」なんて思ってたんですね。

前述の『バス亭』では、皆さん結局何十年も(!)バスを待ちつづけちゃうワケですが、最後は、ようやく勇気ある一歩、ここでは次のバス停(or町)まで歩く決心を着けるので、イニードにもそういう希望を見たかったのだと思います。

ところが、帰宅後、ぱーこさんのreviewを読んで、「おお!そうか!それで全部説明がついちゃうな」と思った次第でして。

で、そう考えると急に悲しくなって、もう一度映画館に戻って、「前野悦郎」になって「ま、ええんとちゃいますか」とイニードに言ってあげたくて、あげたくて…。「乗り遅れても、ま、ええんとちゃいますか」って…。なんとも言い難いフクザツなイタイ気持ちになりました。

ヘタレでいいやん。「いいやん」と思った確信犯でアキラメのへタレは大嫌いだけど、「変われなくても変わっちゃる!」なへタレは大好き。ナンシー関だって、ファンじゃないけど、コラムは毎週チェックしてるぞ!それを死なせてまうなんて…。

まあ、解釈というか、「バスに乗った」イニードをどう見るかは、観客に任せるという意味なんでしょう。だから、この映画や彼女をどう見るかは、自分を映す「鏡」を見るようなものかもしれません。それにしても、やりきれなさが残るのは事実でして。

余談:鑑賞中もずっと「ナンシー関」が頭をよぎりまくって(笑)、ペペロンチーノさんにはやられっぱなし。

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*1:『<希望>の心理学』,白井利明著,講談社現代新書,2001年.

*2:"The New York Trilogy" Paul Auster,faber and faber, 1999/"Ghosts",1986年(翻訳版あり)

*3:『中国現代戯曲集2(バス停他)』,高行健他,晩成書房,1995年

[京都みなみ会館/1.17.02]

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)Santa Monica moot グラント・リー・バッファロー[*] Myurakz[*] は津美[*] ペペロンチーノ[*] ろびんますく[*]

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