[コメント] 人のセックスを笑うな(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
物語の骨組みは三重構造の三角関係がベースだ。当然、それが男女の三角関係であるかぎり、恋情の一方通行が必ず準備され、三角形の頂点となる人物を結ぶ線はどこかの一点で破断する。つまり「永作、松山、蒼井」の関係では蒼井が、「蒼井、松山、忍成」の関係では忍成が、「永作、松山、猪熊」の関係では松山が、というように若者三人のベクトルにずれが生じており三角形は破断している、あるいは破断し始めるのだ。
蒼井、忍成、松山の純粋で頼りなげな一方通行の行方を、我々観客は、ときに苛立ちながら、ときに微笑みながら、徹底的に観察することを強いられる。そう、井口監督は、まさにこれが「映画」だといいわんばかりに、安易な感情移入の要素を周到に排除し、若者たちの行方をただ見続けることを強制するのだ。つまりは、真っ向勝負で彼女の「映画」を観客に突きつけてくるのだ。
井口は三重構造の三角関係のなかに、出会いと一方通行を人物の「運動」として、人物の意識を「状況」として、徹底的に「映画」にまで消化して取り込み続ける。さらに、会話の消化のされかたも凄い。語られる意義よりも、語られる「その場」に重点が置かれた言葉群。つまり、会話は登場人物たちのものであり続け、観客の安易な感情の介入を絶対的に拒み続ける。
人物たちは、常に画面の奥へ奥へと進入し、頻繁に左右へと平面的に横切り、物陰から上昇して顔を出し、また下へと引っ込める。グループ化を印象づける喫煙所、後戻りを拒絶するかのような分岐した道(『犬猫』にもあったような気がする)、バック運転で後退する未練溢れんばかりの軽トラック、コタツ布団にぱっかりと開いた束の間の疎通としてのトンネル、時の進行を暗示するような二人乗りバイクの時計回りの円運動。そして、彼らの会話は常に彼らのものであり続け、決して観客は間に割ってはいることは許されない。まるで迷宮のなかの、終わりなき鬼ごっこを見せつけられるようだ。実に楽しいではないか。
二本目の劇場用作品で、しかも、おそらく依頼企画で、こんな映画を撮ってしまうなんて。まったく、凄い才能を持った人が現れたものだ。
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余談だが、随所に感じる神代辰巳臭は、彼へのオマージュなのだろうか。はたまた、意識せざる類似なのだろうか。トップシーンからして、私は『赫い髪の女』(79)を即座に想起してしまった。神代監督の遺作『インモラル 淫らな関係』(95)の脚本を手がけた本調有香までもが、本作に参加しているのは偶然の符合なのか。
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