コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 母なる証明(2009/韓国)

どう、凄いでしょ? 巧いでしょ? とでも云いたげなこれ見よがしな演出から、ポン・ジュノの厭らしいしたり顔が透けて見えて少々うんざり。キム・ヘジャの舞踊で幕を開ける構成にしても、ペットボトルの水がこぼれるサスペンスにしても、最終カットの処理の仕方にしても、それはもう至るところで。
3819695

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画を「母」をめぐる言説として見る限り、ここにとりわけ優れたものや新しいものを見出すことは難しい。「そりゃこういう母親もいるでしょう。映画ならばなおさら」とでも云うほかない(真に壮絶な「母」映画として私の脳裏にまず浮かぶのは『赤線地帯』であり『サイコ』です。前者では三益愛子-入江洋吉間のエゴイズムの衝突ぶりが、後者では息子アンソニー・パーキンスのみしか描いていないにもかかわらずいつの間にか母の凄さを語っているという構造の病理が衝撃的でした)。しかしながらキム・ヘジャの造型がウォンビンの造型および彼との関係性から遡及的に為されるのは正しい。簡単に過ぎるかもしれないが、ひとまず「子」を持つ「女性」のことを「母」と定義するならば、母の造型には不可分的に子の造型が関係するからだ。したがって子ウォンビンの造型の要である「知的能力の程度」が母の映画としての『母なる証明』の核心を成すのも道理である。場面ごとにその知的能力の程度が(演出家によって)いかにも恣意的に操作されているという点をミステリ映画として見た場合の難であるとする指摘はとりあえず正当だが、その(ウォンビンの知的能力の程度の)不確定性が多くのシーン(とりわけ面会シーンとラストのバス待合シーン)のサスペンスを積極的に支えていることについてはそれ以上に認められてしかるべきだろう。

ただし、私が感嘆まで覚えたところと云えば次の細部に尽きる。すなわち、ウォンビンが女子高生を殺害する瞬間の両者の距離感と、彼が投げた石の描く放物線の嘘臭さである。これはまさに必殺カットだ。ポン・ジュノ自身は必殺だと思っているだろうカットは他にも多く用意されているが、初めに述べたようなこれ見よがしの演出のためにそのすべてが私に訴求することはない。けれどもこの投石カットだけは本当に驚く。「禍々しさ」はこうした細部に宿る。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (9 人)るぱぱ 緑雨[*] ナム太郎[*] DSCH[*] 煽尼采 かねぼう[*] セント[*] ぽんしゅう[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。