★5 | 場を丸ごと切り取る事での状況への臨場性は今村的でもあり、遍き不穏な空気の内在は黒沢清的でもあり、その最高ランクでの融合がボン・ジュノだという事を確認。そして、曖昧な混沌ではなく物語にケリをつける事での越境への決意も。弩級の傑作。 (けにろん) | [投票(10)] |
★5 | 不快ゾーンを超え感傷的な情緒を排除したら、見えてきたのはヒッチコック級の手練手管。映画の醍醐味を堪能した。 [review] (ペペロンチーノ) | [投票(8)] |
★5 | いや、間違いない。母親であるということは狂人だということだ。 [review] (カズヒコ) | [投票(5)] |
★5 | 母乳ってのは血からできてるんだぜ、という話。肉体が変形し、食い物の好みさえ意志とは関係なく変わってしまうような、母親という生き物の、その呪いの話。 (movableinferno) | [投票(4)] |
★5 | ポン・ジュノはブレない。信念(母性)を嘲笑う息子(運命)。「笑い」について。『殺人の追憶』、『グエムル』を経て続く無常的運命論第3章。(左記二作とレビュー内容が一部重複し、重大なネタバレを含みます) [review] (DSCH) | [投票(3)] |
★5 | 人を襲う熊は子連れの母熊の場合がほとんどだそうです。 [review] (Soul Driver) | [投票(2)] |
★4 | まさに映画的な映画ですね。映画の持つ素材を極限にまで活用し自分の映画世界を構築しようとしている。そのテクはそれほど斬新でもない。しかし、こういう撮り方は最近なかったかなあ。
[review] (セント) | [投票(11)] |
★4 | どう、凄いでしょ? 巧いでしょ? とでも云いたげなこれ見よがしな演出から、ポン・ジュノの厭らしいしたり顔が透けて見えて少々うんざり。キム・ヘジャの舞踊で幕を開ける構成にしても、ペットボトルの水がこぼれるサスペンスにしても、最終カットの処理の仕方にしても、それはもう至るところで。 [review] (3819695) | [投票(9)] |
★4 | ひたすら不穏な映画である。何もこの母(キム・ヘジャ)に限ったことではなく、息子に対する母親の愛情には、平時には見えない不穏さが確かに潜んでいる。その不穏さの正体は、男にとって自身の存在を左右し、そこから絶対に逃れられないという恐怖だ。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(9)] |
★4 | 「〈母性〉の牢獄」とかいくらでもそれっぽいキーワードで語れそうなのだが、しかしそんな安易なキャッチコピーは口に出した瞬間に陳腐化する。それだけの強度を持つ映画。 [review] (MSRkb) | [投票(6)] |
★4 | 子を案ずる母に野良猫ロックを。 [review] (おーい粗茶) | [投票(6)] |
★4 | 血を流していたのは誰か? [review] (パグのしっぽ) | [投票(6)] |
★4 | 胸が動悸動悸 [review] (ペンクロフ) | [投票(5)] |
★4 | 技巧に走り過ぎたきらいはあるが、現時点でのポン・ジュノ演出の極み。特に裁断機や車の衝突事故にかかる「よそ見」演出は、分かっていてもその巧さに感心。キム・ヘジャは言うまでもなく、受けるウォンビンの成熟に感嘆。ラストの陽光にも唸る。 (ナム太郎) | [投票(4)] |
★4 | 気持ちよくもてあそばれた。好きか嫌いかは別にしてチョイ役にいたるまで説得力を持つキャスティング・演出をしている事に驚嘆した。 [review] (Master) | [投票(3)] |
★4 | オープニングは、「母親」の無様なダンスから始まる。微笑を浮かべることもなく、ただ無表情に踊り続けるキム・ヘジャ。その姿からは明朗さはいささかも感じ取れず、ただ必死に生きる宿命を甘受する諦念すら漂ってくる。彼女はウォンビンのためにしか笑わない。 [review] (水那岐) | [投票(3)] |
★4 | 最初のダンスは私たちに対する謎かけである。
「なぜ、監督はこのような演出をしなければなかったのか?」 [review] (かねぼう) | [投票(2)] |
★3 | いいのかそれで・・・。あのバスは、変人様御一行にしか見えなかった。 [review] (クワドラAS) | [投票(3)] |
★3 | 見応えは凄い。だが、見応えだけに執心した作品であるようにも思える。 [review] (緑雨) | [投票(2)] |
★3 | 「映画」を創ろうとしているのは解る。前半は期待に中々映画が追いつかずイライラし、後半は追い上げたものの及ばなかった。☆3.7点。 [review] (死ぬまでシネマ) | [投票(2)] |
★2 | 理性のかけらもない連中のドラマは喜劇になる事はよくわかった。が、生理的に受けつけない。それでも2時間飽きずに観られるのだから、映画作りが巧いということは認めましょう。 [review] (Lacan,J) | [投票(1)] |
★1 | 踊りで始まり踊りで終わる照応が、母親であることとは踊り続けることであるという主張にも受け止められる。誰も救わなかったこの映画制作者の姿勢は、この映画が扱った現実以上に救いようがなく不快。事件の真相を一時的に覆い隠す重要な夜の闇を描けてもいない。 (ジェリー) | [投票(1)] |