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[コメント] 街の灯(1931/米)

チャップリンの残酷さが最もよく現れた作品。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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チャップリン映画の魅力としてよくヒューマニズムというものが挙げられる。私はそれをことさら否定はしないけれども、しかしチャップリンその人はどこか「人間らしさ」を捨てたところがあるのではないだろうか。それがつまり「残酷さ」なのだが、たとえば彼の「完璧主義」というものがそうで、何十回もの撮り直しを強要するなんて普通の「人間らしい」神経の持ち主には到底できることではない。

その残酷さが物語の次元で最もよく現れたのがこの『街の灯』だと思う。盲目の時点のヴァージニア・チェリルは間違いなくチャップリンを愛しているのだが、それはむろんチャップリンが惨めな浮浪者だと気づいていないこと、すなわち彼女が視覚を欠いていることに拠っている。チャップリンは自身のサイレント映画・パントマイム芸に絶対の自信を持っていただろうが、それらはまさに視覚のみに訴える芸術/娯楽であり、視覚を欠いているがゆえに自分を愛するというキャラクタを創出するなんて、なんというマゾヒズムあるいは「放浪紳士チャーリー」に対するサディズムだろうと驚くばかりだ。

また、ハッピー・エンディングと解釈するか否かにかかわらず、ラストも非常に残酷なものだと私は思う。ラストシーンはチャップリンとチェリルにとってまさにギリギリの極限状態なのだが、そのような極限状態を作り出してしまうこと自体が残酷だし、それはキャラクタに愛着を抱いているならなおのことだ。あるいは「残酷」という語がどうしてもそぐわないようであれば、「表現至上主義」とでも云い換えてもよい。キャラクタへの愛着よりもラストシーンにおける「表現」が優先され、そのラストシーンの「表現」を用意するために、酔っているときは親友だが酔いが醒めているときは冷淡な金持ちといういいかげんなキャラクタが登場させられ、チェリルの視力が回復するという御都合主義的な展開が繰り広げられる。

チャップリンが説く「愛」や「ヒューマニズム」は確かにこの上なく人間らしいすばらしいものなのかもしれないが、それらを表現するために取る彼の態度は少なくとも私の理解を超えているもので、芥川の「地獄変」ではないけれども、表現者としての業のようなものを感じずにはいられない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (11 人)irodori づん[*] junojuna[*] 田原木 はっぴぃ・まにあ ぽんしゅう[*] らーふる当番[*] 緑雨[*] けにろん[*] sawa:38[*] 林田乃丞

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