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[コメント] 座頭市(2003/日)

深見千三郎へのレクイエム 〜たけしフリークより愛を込めて〜
Linus

実は、私は、自他共に認めるたけしフリークである。 小学生の時に「この人、すっごい頭良い!」と思ってファンに なり、中学生の時は、周りは下敷きにアイドルの雑誌の切り抜きを 入れていたのに、私一人だけ、たけし。もちろん、クラス中に 「たけしのオールナイト・ニッポン」を流行らせ、 高校生の時は、テレビの観覧番組を見に行って、あまりに胸が苦しくなって、 「ヤバイ、このままだと本気で惚れちゃう。芸能人なんか好きになっても つきあえないじゃん」と思って、身をひいた経験がある。

この映画、コメテの皆さん同様、芸人としての武監督が滲み出ている という意見に勿論異論はないのだが、ここであえて、 老婆心ながら芸人・たけしを説明したい。

たけしさんは、周知の通り、明治大学工学部中退の肩書きを 持っているが、実際のところ、入学してすぐ五月病になり、 自宅(足立区)から大学へ通う途中の新宿で遊ぶうちに、 フーテンになってしまった過去がある。その頃、風月堂という喫茶店が たまり場で、そこには、人生を投げてしまった自称・芸術家たちが、 日夜芸術論を語っていたらしい。たけしさんは、このフーテン生活に どっぷりハマリ、やがて家出同然で、自宅を飛び出してしまう。 この時に起った事件で、後の武監督の作品を語る上でも、 永山則夫の連続射殺事件は、抜きにできないであろう。 永山則夫とは、1968年に事件を起こし、1997年に死刑となった男。 著作には「無知の涙」がある。何故、たけしさんと永山則夫が? と 思う人がいるかと思うが、彼らは、「ヴィレッジ・ヴァンガード」という ジャズ喫茶(飲み屋?)の、早番(たけしさん)、遅番(永山則夫)という 関係だった。

たけしさんは1947年生まれなので、この事件を二十歳くらいの時に 経験している。中上健次が、うろ覚えで申し訳ないのだが、 「俺は、永山則夫になれなかった。でも沢山いる永山則夫の一人だった」 みたいなことを書いていた。つまり拙文『アカルイミライ』と 重複するが、いつの時代も自意識過剰で、人を殺したい人間なんているのだ。 それが“映画・文学”になるか“犯罪”になるかの違いなだけであって、 それを意識して生活しないと、道を踏み間違えてしまうと、思う。 余談だが、私の記憶しているところによれば、新宿フーテン時代、 中上健次とたけしさんは、羽田飛行場のバイトも一緒だったらしい。 「も」とつくのは、当然、風月堂には、中上健次もいたと推測するから である。ここで、所謂北野武映画(『その男、凶暴につき』、 『ソナチネ』など)を総括してしまうが、「死」「ニヒリズム」「暴力」に 彩られているのが、必然になるのは理解して貰えるのではないか。

さてたけしさんは、約5年に及ぶ新宿・フーテン生活と決別し、浅草に行く。 それは、フランス座(ストリップ劇場)で芝居をやるためだった。 何故、フランス座と思う人もいるかもしれないが、 当時のストリップ劇場は、踊子さんの合間にコントがあり、 ここでコント55号が出たのは有名な話だが、確か井上ひさしさんも 大学時代、文芸部兼進行係だったと、何かの本で読んだ記憶がある。 たけしさんは、ここで、エレベーター・ボーイとして潜り込み、 深見千三郎という、フランス座の社長に気に入られる。 深見千三郎というのは、たけしフリークの間では有名な名前だが、 あまり知られていない。しかし萩本欽一さんの師匠でもあるらしい。 なんでも、深見さんの左手の指は、戦時中軍事工場で働いていて、 旋盤で切ってしまったらしく、全部なかったとか。そして、 それを卑下するどころか、指がない方の手で牛乳を飲んだり、 「ワン・ツー・スリーで指がなくなります」と手品をしてくれたらしい。 このブラックな笑いが、芸人・たけしに踏襲されたことも言うまでもない。

しかし深見師匠は、ブラックな笑いだけを教えたかというとそうではなく、 「芸人ならば、芸を身につけろ!」と散々弟子たちに言っていたらしい。 思うのだが、たけしさんは、芸人として売れっ子になってから、 執拗に習い事を始める。タップダンス(深見師匠も得意にしていた)、 ピアノ、絵画などである。 これは、深見師匠の教えを頑に守っているのだろう。 それが、今回の『座頭市』に如実に出たのは明らかだ。 随所に日本の伝統芸能 を取り入れているのは、明らかに意識的だし、新聞で読んだのだが、 この企画を出したのは、浅草ロック座の会長・斎藤智恵子さんだとか。 ロック座とは、言うまでもなく、浅草のストリップ劇場である。 この映画が、芸人・たけしの映画になったことも、当然のことだったのかも しれない。

もう少し映画に対しつけ加えると、たけしさんというのは、 理系出身である。子供の頃から、教育ママの母親に理・数ばかり 勉強させられた。だから例えば、『Dolls』『あの夏、一番静かな海。』を 「実験映画」「リリカル」「映像美」とまとめることに、個人的に 違和感がある。何故なら、根底に流れているのは「計算」だからである。 たけしさんは、マスコミには、プロットしか考えないで (北野組にはきちんとした台本が存在しないとか)、シャシンだけを 見せて物語がわかれば、それが映画だと言う。けれどもこの監督は、 頭の中で計算できてしまっているのではないかと推測するのである。 私たちだって、考えなくても、8+4=12と答えがでる。 それくらい簡単なこととして、映画の論理を、理系人間、 もしくは才能のある人間として、計算しているのではないだろうか。 私個人の意見だが、もし文系人間が「リリカル」を撮ると、ゴダールのように難解な映画になるのではないか。武監督の映画の根底には「論理」、 その上の「リリカル」だから、人は彼の物語を理解できるのだと思うのだ。

書き足りない事は沢山あるが、以上が、彼の人生がいかに映画に反映して いるかと考える個人的所見である。

(評価:★4)

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