★5 | 私はトーク番組が好きで、そこで語られるその人の日常を見聞きするたびに、それらの全てが映画の題材と成り得るなと思っているのだが、そういう意味でパターソンに住むパターソン氏の日常だけが懇切丁寧に描かれた本作は、ある意味最高に映画的な映画であった。 [review] (ナム太郎) | [投票(8)] |
★5 | 反復の快楽リズムが行き届く世界で豊潤なギミックが悉く効き粋そのものだが、本質は時代に迎合しないということ。日々移ろう空気や光や行き交う人々を総体として心から愛でる能動意思。虚構世界の中にしかアイデンティティを見出だせぬ時代へのアンチテーゼ。 (けにろん) | [投票(6)] |
★5 | なんて幸福な映画だろう。例えば、パターソン−アダム・ドライヴァーの詩作とその朗読の画面で、妻ローラ−ゴルシフテ・ファラハニが、ディゾルブでいちいち映る演出に感動する。こんなに愛情が画面から溢れてくる映画は他に思いつかない。
[review] (ゑぎ) | [投票(8)] |
★4 | パターソンという街の主人公パターソンを演じるのは、路線バスのドライバー役のアダム・ドライバー。多分狙ってるね。 [review] (プロキオン14) | [投票(1)] |
★3 | アダム・ドライバーの如何にも暗黒面なタイプキャストの不穏で盛り上げるイヤらしさをファラハニが救っている。彼女の痛ましい天然さがカップケーキという生活力に拡張され、好ましさに変わることで。 [review] (disjunctive) | [投票(4)] |
★3 | 映画自体はスローな演出ながら、じわじわと効く持ち味が魅力的ではある。例えばゴルシフテ・ファラハニが実に輝いてみえるほか、有色人俳優の輝きは特筆に値するものがあるのだが、図らずも永瀬正敏の登場に一気に感興が冷める感覚を味わう。この物語が終わるために、ほんとうに彼は必要だったのか。 [review] (水那岐) | [投票(3)] |
★3 | 市井に埋もれる私的芸術もまた善き哉。しかし美少女ちゃんに話しかけて警戒も通報もされないアダム・ドライヴァーに芸術など必要なのかと腹が立つ。オレは散文しか信じない。 (ペンクロフ) | [投票(1)] |