[コメント] CASSHERN(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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試写会のとき、寝不足で丸々眠ってしまった。期待していただけに残念と思い、もう一度金を払って観た。
TVで観ていた人は知っていようが、原作のアンドロ軍団はアンドロイドである。だから屈強な体も肯けるし、配下に戦闘ロボットたちを従えているのも納得がゆく。そしてキャシャーンもサイボーグであるため、「鉄の悪魔を叩いて砕く」活躍もさもありなんである。そして最後には、ブライキング・ボス配下のロボットたちはすんなり作業用ロボットに戻り、ただキャシャーンだけが不死身の肉体を復元してもらうこともできず、恋人を抱くこともできない悲劇的なラストを迎える。
だがこの映画では、「新造人間」は人間のパーツから甦ったフランケンシュタインの怪物である。この方が悲劇性は増す、と途中までは思われたし、人間と変わることなき姿で迫害される様子は哀れを誘う。そして(またしても、という観はあるが)オイディプス伝説よろしくブライは聖母のようなミドリを慕い、父と呼ぶべき東教授を憎悪する(キャシャーンもしかりなのは失笑を隠し切れないが)。まあそこまではいいだろうが、監督のトリビュートは最後で破綻する。実は「新造細胞」は東教授の手で完成を見てはおらず、アンドロ軍団は「新造人間」などではなく、オリジナル人類(ネーミングを忘れてしまったが、総ての人類の祖となる種族)であり、惨殺ののちに薬物で蘇生させられたに過ぎなかった。これはキャシャーンも同じなのだが…どういうことなのだ?戦闘においてロボット兵に勝る戦闘能力を持っていた筈だが。その上に身体機能は人類と全く変わらないので、キャシャーンはルナと性交できてしまうのだ(自分から演説のなかで暴露してしまっている!)。じゃあ、強力な人類でしかないじゃないか。どこにも悲劇は内包されていない。
他にもつっこみ所は沢山あるのだが、紀里谷が自分勝手な解釈で最終的に物語をダメにしたのは、その一点に集約させられるだろう。画面は綺麗ではあったので、これからも映画が創りたいなら是非脚本執筆は遠慮してほしい。それだけは言いたい。
(付記) ヘルメットがちゃんと棚においてあるだろう。被れよ。
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