[コメント] ハウルの動く城(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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やはり、宮崎駿御大はロリコンだ。
カギ鼻、皺くちゃ、しわがれ声、背中の曲がったソフィーといった老婆を主人公にしてようやくロリコン趣味を脱却したかと思いきや、いつの間にか鼻の形も小さくなり、皺も減り、声も若返り、背中もピンと伸びて若返り始め、何のきっかけも無く17歳に逆戻りしている。
観る側としても、湯婆婆顔やドーラ顔をいつまでも拝んでいるよりは、17歳のねえちゃん顔を見ている方が気分はいい。また、それは百歩譲って荒れ地の魔女の魔力の衰えと理解してあげたい(原作では荒れ地の魔女に勝って元に戻れた)。17歳のソフィーの顔はキキやナウシカの様なとんがった感じが無く、その平凡さが親しみやすくて良い。
今回は、特殊キャラクターの声あても様になってきた我修院達也、声優初挑戦で尚かつ本人と感じさせない木村拓哉らの声優陣に賛辞を贈りたい。ただし、17歳のソフィーは若い声優さんを充てて欲しかった。
そもそも、原作は読んで面白かったと思えなかった。この原作でジブリがどこまで”活劇”を見せられるかが不安でもあった。原作のソフィーはこの映画以上に、自分の老化を安易に受け入れる。それは、今まで無為に生きていたせいもあっただろう。ゆえにこの物語の主目的がソフィーの若返りにしなかったのがメリハリを欠いた原因ではないか? 原作は「ハウルとカルシファーの契約」や「ハウルの謎(ハウルの心臓)」の解明と決着が面白みであった(「あらすじ」で解説してあります)。ゆえに原作は”活劇”とは言い難く”クライマックスがない”。映画はみるみるうちに城の部品が欠けて『ハウルの動く板』にして多少は味付けをしているが、やはり”クライマックスがない”。
原作では戦争の描写が無いどころか戦争状態でも無い。この宮崎流の味付けのおかげでそれなりにメリハリがついたとも言える。込められているメッセージは単純。綺麗な港町から出港する厳つい軍艦、息を呑むほど美しいお花畑の上空を飛来する空中戦艦、業火に包まれるソフィの生まれ育った美しい街、ハンサムなハウルの醜い変身・・・こういったコントラストから、自然に反戦メッセージを受け取りやすく説教臭さは無い。
”クライマックスがない”ままの急転直下の締め方。それは『千と千尋の神隠し』と同様で余韻の楽しみに欠ける。見終わって「映像はさすが!」と思えても、過去の『未来少年コナン』や『天空の城ラピュタ』ほど「面白かったなぁ」と思えない。どう解明するのか、どう決着を付けるのかを楽しみにしていた「ソフィーの若返り」「ハウルの謎」「カルシファーとの契約」などが曖昧で観ている方も消化不良だからだ。せめて、お家芸のエンドクレジット中の後日談を挿入して欲しかったものだ。
案山子のカブにキスしてからは、駆け足のハッピーエンド。ソフィーのキスが溢れるラスト! 戦争とは対照的に愛が溢れるキス!キス!キス! ハウルにも、荒れ地の魔女にも、カルシファーにもキスをしまくるソフィー。そして、ラストでも動く城の上でベストカップルの渾身のキスシーン。きっとロリコンの宮崎さんが最後になるかも知れない本作で、ソフィーからのキスを自分へのご褒美にしたかった現れじゃないかな?
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