[コメント] 亡国のイージス(2005/日)
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阪本監督には正直、期待と不安の両方があった。不安は的中し、期待は裏切られた。そんな今となっては虚しいだけですが、覚書程度に思ったことを書きます。
監督に期待していた部分は、『顔』の藤山直美と豊川悦司の描写から来ていた。如月行(勝地涼)は、暴力的な夫と別居する母親と仲良く暮らしつつも、水商売で働く母の酒や香水の匂いに死の匂いを感じ、嫌悪するようになっていく。やがて母親は自殺する。母の記憶が、後の行に及ぼした影響は計り知れないほど大きかったはず。『顔』では「死の匂い」を巧みに表現していたと思うのだけど、本作ではこのような演出は皆無。父を殴殺し、冷酷な工作員と化した行の演出にこの背景の描写は不可欠だったと思う。
心を閉ざした如月が心を開くきっかけとなったのは、仙石(真田広之)、田所、菊政はじめとする不器用なまでに熱い隊士との触れ合いだったのだが、それもほとんど描かれず。私的にはこのやや冗長とも言える無骨な触れ合いこそが、原作の面白さを引き立てていたと思うので残念だ。 もう一つ「絵」の存在も重要で、これは劇中でも何度か登場したが、甲板で如月が仙石のスケッチブックに一本の線を入れ、仙石が行の才能に恐れ入るシーンがあるが、その「一本線」の色合いを映画として映さないでどうする!と言う感じだった。 このような行の内面の描写をしっかりしてくれれば、仙石が如月に言う「生きろ!」「考えろ!」の言葉の重みはもっと伝わったことだろう。
監督への不安な気持ちは、本作と比較的近いテーマを持った『KT』から来ていた。『KT』では三島由紀夫の自衛隊・市谷駐屯所における憤死から描いていながら、それとは関係なしに物語が進んでいった。福井氏の原作では三島事件については言及していないものの、ダイス本部が市谷駐屯所に所在することからも少なからず意識していると思う(そもそも、福井氏が原作で訴えていることは、基本的には三島の塗り直し。それとは関係なしに、活劇としてかなり面白いのも魅力)。 「KT」と同じように、本作でも冒頭から掲げる国防(言い換えると亡国)というテーマを扱いきれていなかったようだ。阪本監督の場合、扱いきれていないと言うよりは、好んで題材に選びながら、その題材の本質から逃れているような気さえする。
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