[コメント] フライトプラン(2005/米)
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ジョディの走る姿が目に付くようになったのは『羊たちの沈黙』のクラリスあたりからだと思うんだけど、知性的の中に活動的な一面を“魅せる”ことができる女優は、私の中ではジョディ・フォスターぐらい。ジョディの走る姿はしなやかでバネがあり、かなりいい。爽やかであり、肉感的ですらあるのだが、ジョディが走ると言うよりジョディの知性が走ると言う感じも同時に思わせる。「羊たちの沈黙」はまさにそんな彼女の一面が開花した作品だと思う。
近年の『パニックルーム』は、飛行機と家とを置き換えると、閉鎖された空間の中で娘を守るシングルマザーという点で結構本作と似た設定で、おそらくジョディの嗜好によるテーマだと思われるが、パニックルームが完全防御型であったのに対し、本作はジョディがデザインした飛行機、すなわち閉鎖された空間でありながら地の利があり、動き回れると言う設定で、私はまず其処にいたく惹かれた。
パニックルームは動くに動けないシーンが多くて、劇中のジョディと同じように自分もいらいらし、全く好きになれなかったが、一つだけお気に入りのシーンがあった。それはジョディがフロアーを駆け抜けるシーン。ゴムまりのような筋肉ですごい印象的。それに対し本作の彼女は、すべて行動に直結している。私的に期待通りでうれしい設定。
彼女がチーフエンジニアでエリートとの設定は、その経歴ありきで余計な演出を入れる必要などはなく(これはジョディのすごいところ、普通の役者ならそこから描きこまないと浮いてしまう)、精神的に不安定な点が本作のミソになっている。 知性的行動と精神的行動。機内の人々は、彼女の直接的な行動が精神的不安定からくるものと疑い、仕舞いには信じて疑わないまでに至る。彼女への同情が一層その気持ちを深める。
ところがジョディは違った。一瞬たりとも自分を、娘の存在を疑わなかった。ハイジャック犯はジョディも自分自身を疑うようになることを想定していたのではないだろうか? ジョディ以外の誰もがジョディを疑っていたラストに近い頃、ハイジャック犯の一味のパーサーにとって、ジョディの行動は知性的行動と映るようになる。 「娘は搭乗していない」とか、「娘はすでに死んでいる」と言った嘘の情報をタイミングよく流したのは全てこの彼女で、彼女は機内の情報操作の要、すなわちこちらも知性の要だった訳だけど、ジョディに臆した後は、彼女の悲しげな視線の意味合いも変わっていく(演技から本物になっていく)。いい演技していたと思う。
本作のプロットを振り返ると、娘に機内の誰も気が付かなかった点は、まず航空券は搭乗前に娘に渡していたし(後で娘の存在を証明できなかった)、2人が搭乗後から他の乗客が乗るまでの間と離陸する直前までは娘はかがみ込んで椅子の下の何かを見ていたので誰も気が付かなかった(実際このとき、ジョディの隣に娘がいないカットがあるんだけど、あれは観客も疑うように意図したうまずるい演出ですね)、などの理由が挙げられるだろう。無論これらは全て犯罪者とは関係のない偶然の産物なんだけど。
肝心のエリートたるジョディが狙われた理由は、夫を殺害し彼女を精神的に不安定にさせた上で、娘を誘拐すれば、チーフデザイナーのジョディがあのような騒動を起こし、誰もがそんなジョディを疑う状況を作れることが前提だったと思われるが、更にその上で夫の棺に仕込んだ爆弾を飛行機に仕掛け、娘もろとも爆破すれば、ジョディをハイジャック犯人にも仕立てられる遠大な“フライトプラン”。これは飛行機の設計以上に信頼性の低い難しいプランではないでしょうか?
そもそも彼らの動機は、要求でチャーターしたジェット機にまさか真犯人が乗ることが出来ないでしょうし、単純に金銭目的なのかどうかもよく判らない。ラストで一味の彼女がジョディの知性に臆していたように、「策士策におぼれる」感のあるエンディングでしたね。ベルリンの悪天候で大幅にディレイしていたので出発しなかった可能性もあるんだけど・・・。 ジョディとしては自分が悔いていたように寝てしまったことが問題かな。
まぁその辺の設定は、動き回るジョディが観れれば私としてはどうでもいいですけどね(笑)。飛行機の中を動き回る作品はハリソン・フォード主演の『エアフォース・ワン』という映画もあるけれど、ハリソン・フォードの場合、(ハン・ソロのときもそうだったんだけど)走りがおっさん走りでダサいんですよね(これはこれで好きなんですけど)。ジョディの走りのほうが魅せますね。
あと、『ロング・エンゲージメント』のフランス語でも感じたことだが、ジョディはやはりすごい。今回はドイツ語をペラペラに話している。ちなみに本作でジョディと会話をしたドイツ人医師は『ヒトラー 最期の12日間』で医官シェンクとして同じような役どころを演じたクリスティアン・ベルケル。近頃のドイツ俳優で気になる役者の一人なんだけど、夫を亡くして失意のアメリカ人ジョディに対し、普通に(英語ではなく)ドイツ語で話しかけるのは、良く考えたらおかしい気もするが、そうじゃなく、あたかも当たり前の雰囲気をかもし出すのはジョディの成せる業。
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