[コメント] トウキョウソナタ(2008/日=オランダ=香港)
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これはある種の映画ファンの悪い癖ではないかという自戒を込めつつ云うが、この映画を見て小津を想起してしまうというのは決して無理からぬことだろう。題名に掲げられた『トウキョウ』の語。一八〇度の切り返し。失業と求職(『東京の合唱』)。階段落ち(『風の中の牝雞』)。家の付近を幾度も通過する電車(『生れてはみたけれど』、と同時に「電車」と「窓」の関係性という点では成瀬『妻』も思い起こさせます。またこの電車の通過が引き起こす光線の明滅という照明効果が実にすばらしいのです)。黒沢自身それに無自覚なはずはあるまい。黒沢はもはや観客の脳裏に小津の名が浮かぶことを恐れないのだ。それはこの映画が獲得しえた「強靭さ」のためだろう。この強靭な映画を前にしては小津がどうこうということなどまったくの些事に過ぎない。
ラストの「奇跡」がまさに奇跡であるのは、それが物語的持続を断ち切ったところに現出するからだ。役所広司の登場を契機に物語は暴走を始め、井之脇海のピアノがどの程度上達しているのか、そもそもピアノを続けているのかどうかに関する描写も放棄される。そして唐突に訪れるラスト・シークェンス。そこで奇跡をかたちづくっているものとは、一心不乱にピアノを弾く井之脇の姿、「月の光」の名演、それを見つめる香川照之と小泉今日子の顔、ぞろぞろと集まる聴衆、カーテンの揺れ、差し込む光、という純粋に視覚的・聴覚的な要素群とその按配だ。奇跡は理屈ではない。理屈ではないその奇跡を、黒沢は合理的に、理詰めで演出する。これが演出力だ。
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