[コメント] アバター(2009/米)
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という訳で、肉食動物サナターに襲われる場面の迫力だとか飛行生物バンシーの飛翔感とかエイワというクラゲみたいな木霊(こだま)みたいな精霊の浮遊感だとか、はたまたマイルズ・クオリッチ大佐−スティーヴン・ラングの悪役としての徹底した憎憎しさだとか、純粋に娯楽映画としてよい出来だ。第一とにかくプロダクションデザインが全編気合い入りまくりで、それだけでスペクタキュラーな画面を担保している。
ただ、私がこの映画が決定的に古いと感じるのは、別に宮崎アニメをはじめとするオマージュ作品の既視感のお話ではなく、人物造型というか人物の所作と振る舞いの演出の古さ(幼さと云ってもいい)の話なのだ。例えば、ネイティリのジェイクに対する感情の変転がちょっとひどいです。1950年代の活劇でもこんなヒロインはめったに造型しない、というような聡明さを欠く類型となっている。主人公と都合よく恋に落ち、契りを結ぶ、そうなると闇雲に主人公を守ろうとする。まあこのあたりまではいいけれど、一旦裏切られたと思うと見殺しにしてやぶさかでなく、バンシーよりもさらに大きな飛行生物であるレオノプテリクスを乗りこなす伝説的ヒーローとして再登場すると、さらに手のひらを返したように瞳を輝かすのだ。唖然とするほど判りやすいではないか。ジェイクがレオノプテ リクスを乗りこなすようになる過程が省略されているのだが(それは映画的な省略と云ってもいいが)、だからこそ余計にネイティリがジェイクを惚れ直すのは性急で幼稚に感じられる。或いは造型された人物がプロットを運んでいるのではなく、ヒロイックなプロット展開を観客に納得させるためにネイティリのキャラがでっち上げられているような不自然さを感じる。「人物造型がプロット展開の奴隷」のようになってしまっている、と思ってしまう。
あとラスト近く、大佐との格闘の末、ジェイクの酸素マスク装着が遅れ、一旦死んだかに見えるが、ややあって蘇生する。このあたりの演出はもっと切なく描くべきではないか。私は瞬時に『アビス』を想起したのだが、結果的にジェームズ・キャメロンは自身のキャリアの中の最も良い演出を踏襲しない。理解していないのではないかと思う。
3Dの視聴環境はまだまだ改善の余地がありますね。私にはしんどかったです。でも、映画館と大スクリーンという媒体の優位性を新たなかたちで確立する可能性については純粋に期待したい。
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