[コメント] わたしを離さないで(2010/英=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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原作と映画のテーマが同じである必要は全くない。『ブレード・ランナー』がそうであるように。しかし残念だ。この原作を真に魅力的にしているテーマを、この映画が表現しなかったこと。
原作は一見「臓器移植のためのクローン」を扱い、映画は「クローンの中に存在する人間性」を扱っているようだ。そうだとすると原作と映画のテーマに齟齬はない。SFファンならおなじみのテーマだし、『ガタカ』や『ブレード・ランナー』で提示された、SF的枠組の中で純粋化された人間像、といったものを表現していることになる。
でも原作を読んで残るテーマは実は、「人間の記憶」というものの不思議さだ。主人公は、幼いころの記憶をたどりながら、さまざまな感触を掘り起こす。温かい記憶冷たい記憶美しい記憶…そして不思議な記憶。誰でも経験があると思う。なぜそんなことがあったのか理解できない記憶が。なぜ怒らせたかわからないのに人を怒らせてしまったり、なぜ大人がそんなことをしたり言ったのかわからなかったり。大人になってから振り返っても謎のままのこともあれば、ふいに真実を悟ることもある。
映画で楽しみにしていたシーンがある。キャシーが「わたしを離さないで」の曲に合わせて踊る場面だ。通りかかったマダムがそれを見て号泣する理由を幼いキャシーは理解できない。大人になったキャシーが思い出してもやはり理解できない。原作では、あのシーンはひとつの象徴だ。キャシーたちがそんな経験を積み重ねていく「不思議な記憶」の象徴。残念なことに映画では、このシーンを単に「あったこと」として処理していく。
原作では、人間が「記憶の器」であることを繰り返し表現する。特殊な境遇の人間の、そんな境遇でありながら平凡な記憶を静かに描く。彼らの記憶は、ほんとに誰にでもありそうで、それでいてとても個人的なもの。彼らの人間的経験はとても少なく限られている。だからこそ子ども時代のヘールシャムの記憶が輝いていて、その記憶を抱いて生きているからこそキャシーたちは人間でいられるのだ…。
『ブレード・ランナー』で最後のレプリカントが息をひきとるとき、彼の生きてきた記憶が語られるあの美しいシーン。あのシーンを思い起こすたび、私はあの映画の中にレプリカントの記憶の映像が出てきたような気がしてしまう。「私を離さないで」の原作は、あのレプリカントの記憶を長回しにしたものだったと、今ふと思う。
ああ残念。この3人のキャストとしてはほぼ理想的な俳優をそろえているのに。ヘールシャムの造形もイギリスの町並みも、とてもいいのに。そしてなにより「記憶」というテーマは、映画という媒体そのものにとても合っているのに。
彼らが特殊だ、と思い起こされるシーンはとても残念だ。トミーやルースのいわゆる「提供後」の肉体。あのシーンはいらない。
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