[コメント] ゼロ・ダーク・サーティ(2012/米)
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2001年の米国同時多発テロ「9.11」は世界を変えた。TVで流された、ハイジャック機が世界貿易センタービルに突入し、炎上し、そして崩れ落ちる、あの一連の凶暴なリアルタイム映像。世界を牛耳ってきた者に対する強い敵意と反発が突然可視化された「9.11」の出来事は、その映像的衝撃性もあって人々の思考を一気に止めてしまった。「まるで映画のようだ」「信じられない」と絶句する者たち。あまりにも醜悪すぎる現実は奇妙なカタルシスさえ生み、それを生業としてきた商業映画界をも麻痺させてしまう。ハリウッドとアメリカ人がこの衝撃をようやく直視できるようになったのは、同じく凄惨なアイルランドの事件を描いた『ブラディ・サンデー』の監督ポール・グリーングラスを招聘して撮らせたドキュメンタリー・タッチの『ユナイテッド93』以降だったと記憶しているが、それでもすでに「9.11」からは5年の歳月が経過していた。その後、暴力表現に歯止めが利かなくなったハリウッドは『ノー・カントリー』や『ダークナイト』などの作品を生んだものの、どのような大掛かりな虚構もあの「9.11」の衝撃の前では霞んで見えた。そして2011年5月。かつての英国軍の拠点であり、今はパキスタン将校の養成所となっているアボッターバードの地に潜伏していたとされるオサマ・ビン・ラディンが米軍のコマンド部隊に射殺されたというニュースが世界を飛び交った。姿を見せず、人々の記憶の中から忘却されつつあった「9.11」の亡霊が突如として甦り、風化しつつあった歴史はまた息を吹き返した。
米国による復讐劇を描いた本作は、冒頭から「9.11」の生々しい記録音声を被せたブラックアウト画面から始まる。実に恐ろしいことだが、あの悪夢のような出来事を鮮明に記憶している多くの観客にとって、映像は不要なのだ。生々しい記憶は個々のトラウマと直結し、動悸や息苦しさを引き起こすことを本作の作り手は分かっており、それを狙ってさえいる。この死に瀕した犠牲者たちの絶望の声によって、観客は「なぜ9.11は起きたのか」という問いを放棄させられ、作り手の意図する「この許し難い9.11を起こした者たちはどこにいるのか」という物語に放り込まれる。映画による復讐は冒頭から始まっているのだ。そして続くCIAによる執拗な拷問シーケンスで描かれているのは、スパイ映画で見られるような拷問ではなく、正当化されたルーティンワークとしてのそれである。もちろん敵は人として扱われない。扱うつもりもないのだろう。淡々と行われるCIAの拷問を描くことで、「9.11」の首謀者ビン・ラディンの足取りを掴めない米国政府の焦りをキャスリン・ビグローは冷ややかに炙り出していく。2003年にはブッシュ政権がイラク侵攻を行ったが、開戦の理由となった大量破壊兵器は存在せず、CIAへの批判が相次いだ。成果を出せない元責任者は消耗し更迭され、油断を見せた同僚は基地で爆死する。いずれも実話なのだろうが、ビン・ラディンの連絡係を追い続ける主人公マヤの執念を際立たせるために選ばれたエピソードであることに変わりはない。気がついてみれば、今度はマヤ自身が拷問ルーティンの執行者としてテロリストの敵意を惹き付ける標的となっていた。前半、意図的に抑えられていたと思われるビグローの演出は中盤から次第にエスカレートしていく。連絡係の携帯の電波を補足するサスペンス的なくだりや、赤い文字(これは繰り返されるテロによる流血を彷彿とさせる)で上司の部屋のガラスにミッションの遅延状況を毎日書きなぐるマヤの苛立ちぶりの描写などは、来るべき暗殺劇のクライマックスを正当化するために観客に次々と配られる甘い飴のようなものだ。言うまでもなく、米軍コマンドSEALSの前で見栄を切ってみせるマヤの姿や、ステルス仕様のブラックホークで敵地に侵入する映像に至っては、見慣れたハリウッド映画以外のなにものでもない。かくてジェロニモ作戦は決行され、アボッターバードの豪邸内に展開した男たちは「9.11」の首謀者ビン・ラディンとその側近を殺害し、死体袋に詰めて帰還する。正義という名のもとに強行される復讐。政治的なプロセスを経ていようとも、結局やっていることはテロリストと同じ人殺しだ。最後のシーンでマヤは問われる。「この巨大な飛行機(=世界を支配している権力の象徴)を独り占めして、お前はどこへ向かうのか」と。もちろん答えなどない。アメリカはもはやどこにも行けないのだ。ミッションを果たしたマヤの頬を伝う涙は、復讐の連鎖で再び流されるであろう血の涙を予感させる。飛行機の(見えない)衝突で始まった物語は、飛行機の(見えない)離陸でひとまず幕を閉じる。映画を殺した者への、映画による復讐。だが、次の報復がないと、誰に断言できるだろうか。
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