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[コメント] シン・ゴジラ(2016/日)

「東京に血糊を塗りたくる」。直接的なえげつない演出に震えた。福島でもいつでも生死を問わず血は流れたのだ。私たちはすぐそれを忘れてしまう。そして私は血を流さなかった。モニタ越しにそれを眺め、破壊へのある種の快感を感じる生理に対し、作家として正直な超破壊を繰り出しつつ、「思い出せ」という寓意も明確。まさか監督から説教されるとは。ムスカよろしく「・・・素晴らしい!」と呟きつつ涙が流れた。複雑な感覚です。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







皆さんご指摘の通り、第一形態の造形が素晴らしいと思う。対策が進まない状況をあざ笑うようなあの表情が破壊とともにポンッと初めて放り出されるカット、このキレは監督の天才であると思う。ゾッとしました。もちろん官僚的手続主義への揶揄なのでしょうが、私は本当に恐ろしい災厄は人間の願望や経験、理性を超えた範疇で起こるので、半ば冗談のような形で現れる、という考えを『ゴーストバスターズ』から得ており(本気です)、これを再確認させられるカットでした。

ボトボトと体液と肉片を撒き散らす未成熟の肉体、これは巨神兵ですね。巨神兵といえば、熱線の爆風で王蟲の巨体がおもちゃのようにパッと宙に跳ね上がる、一瞬夢を見ているような秀逸なシーンが思い出されますが、これと同種の、おもちゃのように車が弾き飛ばされる、「マジかよ・・・嘘だよな?」という映画的超現実的な感覚から、積み重なった車両が連鎖的に潰される(明らかに福島の潰される車が意識された)現実的な、痛みとして感じられる破壊表現によって観客を翻弄し突き落とす、この虚構と現実の采配は全く天才的だと思いました。虚構のような現実、現実のような虚構。

顔面が羅列されるショットは、私は意味があると思っています。前半については特に、大杉漣演じる大河内首相に向かって関係各位が刻一刻と変化する異様な状況を報告する対話のショットですが、私はここで脂汗が出ました。あの震災時、色んな人が偉そうにやれ人災だあの政党やら会社が云々と言います。確かにそうなのかもしれませんが、私は「お前があの時のような状況に放り込まれた時、お前は正常な判断が出来るか?覚悟はあるか?とやかく人のことを言えた立場か?」と直に問われているような気がしたのです。

「誰しもが頑張らなかったわけではない、ただ異常に難しかっただけだ。でもお前がその中にいたときに、自分に出来る限りのことをしたか?正否、本音や建前、大義はどうでもいい、お前は何かしたか?」

告白すると、9.11でも、福島でも、熊本でも神戸でも、私には当事者意識はどこにもなかった。モニタ越しに眺めるものに過ぎなかった。死ぬ時は死ぬしかない。私は小さい身勝手な人間です。疚しさを覚えながらモニタ越しの光景に映画的な一種の快感すら時には覚えた。そんな人間に対し、虚構と現実の狭間のモニタ越しから監督が語りかけてくる。東京に血糊を塗りたくり、部外者を決め込んだ人間を告発するのである。どうせ壊したいだけの映画で、仮にそれでも庵野さんだから満足して帰れるだろうくらいのつもりだったのに、まさか説教されるとは思いませんでしたが、ゴジラを信奉するからには、やはり真面目な人なのでしょう。それがはっきり感じ取れました。正直私はこの映画で泣いてしまいました。それは、虚構の快感、現実の説教、両方に撃たれたのです。そして、これはまさに私が映画に求めるものなのでした。これから強く生きていこう、みたいなことを言える人間ではありません、ただ、これが人を撃つことが出来る、しかも映画として正しい撮られ方をした映画であるということを、偽らざる感想として述べておきたいと思います。

(評価:★5)

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