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[コメント] シンドラーのリスト(1993/米)

我々は皆、赤い服を着ている少女である。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







さすがに力作、ぐっと来るシーンも多かったがここは一つ絞って書いてみようと思う。

赤い服の少女には久々に鳥肌が立った。

この映画は(当然)アンチ・ホロコーストの立場にある。それはストーリー的な側面もさることながら、構造的側面にこそ真の意図が存在しているのだと思う。

それが赤い服を着た少女である。

ホロコーストの悲劇とは一体何か?いうまでもなく、それは驚異的多数の人間が有無をいわさず虐殺されてしまったことにある。収容所やガス室の描写はやり過ぎかと感じられるほど凄惨だった。この映画を観てフラッシュバックを起こしてしまった生き残りの人が出てきてもおかしくないほどだ。

ただ、悲劇はそれだけではない。何100万人もの人間が個人としては決して扱われず、一まとめにして《犠牲者》として括られてしまっている点だ。人格性の完全なる無視である。人が死ぬってのは完全に個人的な現象だ。ユダヤ人がたくさん殺されました、などといわれても返ってのっぺらぼうな印象しか受けない。

この映画は一人一人の《ひと》に対して焦点が当たっている。赤い服の少女が「抽象性の闇」に光を当てているのだ。モノクロの中で一人逃げる少女・・・大衆に埋没していない。一人一人それなりの人格や人生があるのだ。一まとめにされることなど犠牲者の誰一人望んではいないだろう。その点でどんな記録よりも死者に対する想いが強いのだと思う。極言するが、「シンドラーのリスト」は赤い服の少女の存在によって登場人物全員が主人公なのである。彼女を浮き立たせることで個人としての人間の存在を強く意識させるのだ。

更にいえば赤い服の少女、という手法は映画だからこそ伝えられるものだ。他のメディアではちょっと無理な表現だろう。このアイディアをどう思いついたかは知らないが、映画でしか出来ないことをやってのける、という点で賞賛に値する行為だ。

長い間勇気がなくて手がつけられずにいた映画だが、見て本当に良かったと思う。この作品こそスピルバーグ作品の中で子供に一番見せてみたい映画なのかもしれない。子供にだって赤い服を着た少女が一体何を語っているか分るでしょう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (11 人)ぽんしゅう[*] たろ[*] 4分33秒[*] 甘崎庵[*] 太陽と戦慄 緑雨[*] ナム太郎[*] アルシュ[*] けにろん[*] トシ[*] ダリア

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