[コメント] ファーゴ(1996/米)
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この作品、一度目に観たとき全然ピンとこなかった。
夫の存在が希薄だったり、やけにあっさり犯人の隠れ家が見つかったり、アカデミー主演女優賞をとったフランシス・マクドーマンドの存在感が、三大怪優スティーブ・ブシェーミ・ウィリアム・H・メイシー・ピーター・ストーメアに食われてしまっていることなど、置いてきぼりをくった設定が多いように感じた。(もっとも、改めて観ると、マクドーマンドは『グロリア』のジーナ・ローランズ程ではないにしろ、タフなナイスウーマンであった)
そのなかでも、主人公のマクドーマンドの同級生として登場する、日系人マイク・ヤナギタのエピソードは、本筋に関係無く収束し、その後に登場してくることもない。少しずつ設定を外していくのが、コーエン兄弟の持ち味であるにしても、これほど設定から乖離した存在を置くのは、完全構築主義のコーエン兄弟らしからぬ行為ではないか。
会席中に挙動不審な行動をとり続ける彼の発言が、事後の第三者の申告で嘘であると露見した直後に、マクドーマンドは自動車販売店でウィリアム・メイシー(役名のランディガードのほうがイメージが鮮烈かもしれない)と接見する。結果的にメイシーが逃亡したために彼が犯行にかかわっているとの確信を深めるが、その確信を裏づける素材の一つとして、メイシーとヤナギタの挙動不審の共通性がマクドーマンドの脳裏にあったのではないだろうか。それは、シーンの繋がりによって証明される。
初見の時は、きっとヤナギタも犯人グループと直接関わりをもっているか、この後関わっていくに違いないと思ったが、そうではなく、彼は作品全体のコミュニケーション不全を体現していたのではないか。本作の愚かで滑稽な人物たちが、悲惨な帰結に向けて転がり落ちていくのも、彼らのコミュニケーション不全によるものであった。直接金の融資を頼むことができないメイシー、自分の欲望だけをしゃべりたてるブシェーミ、誰とも話そうとせずただただテレビの画面を見入っているストーメア、彼らは他との十全な交流をはかることのできない、哀れな人物であった。おそらくは初恋の相手と勝手に結婚し死別したと妄想するヤナギタは、一面の雪同様、本作全体の閉鎖的空気を映し出す象徴的存在であったと考えたい。
それにしても、コーエン兄弟作品のなかでも、なんとなく居心地の悪い作品ではある。そういう意味では、二度目の鑑賞もそれほどピンとこなかった。ただ退屈はしなかった。
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