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[コメント] イージー・ライダー(1969/米)

あるシーンの最後のカットと次のシーンの最初のカットが痙攣的に細かく行きつ戻りつしながらシーン移行する繋ぎはいまだに目新しいかしら(模倣する意義のある機会が少ないだけかも)。その酩酊的・運命論的な編集感覚はエディターのドン・キャンバーンよりデニス・ホッパーの主導によるものと思いたい。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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その編集にも目慣れてきたあたりで、唐突にラストカットのフラッシュフォワードが挟まれる。これには率直にびっくり仰天する。ラズロ・コヴァックスのロケーション撮影も全般に好調だ。

さて、この映画の結末は「衝撃的」なそれとしてあまりにも有名になってしまっているが、ピーター・フォンダとホッパーが射殺されるという出来事そのものは決して驚くに価しない。それというのはごく単純な理由からで、すなわちその出来事が律義に「予告」されているためだ。上で触れたフラッシュフォワードもそうだが、ジャック・ニコルソンは先だってホッパーに「自由であること」の危険性を説いており、撲殺されることで身をもってその危険を実証している。いささか性急ではあるにせよ、射殺犯にしても「ぶち殺したろ」とあらかじめ宣言し、ホッパーの挑発行為(中指を立てる)を見送ってから事に及んでいる。出来事はまったく突然でないばかりか、むしろ必然である。

ただし、それを描く演出の力には大いに驚かされる。感傷がつけ入る隙を与えない簡潔かつ敏速なカット構成は最良のアクション映画的瞬間を結実させており、とりわけ「フォンダを撃つ-フォンダが撃たれる」切り返しは何度見ても我が目を疑ってしまうほどの鋭さだ(しかしこのふたつのカットにはフォンダも射殺犯も映っていない! 以降のカットも無人だ。だから本当に彼が「射殺」されたかどうかは必ずしも明らかでない)。続くカットにおける二輪車の吹っ飛び方も尋常ではない。確固たる演出の意思と技術がなければあのように宙を舞う二輪車を撮ることはできない。そして燃え上がる二輪車を見下ろしたラストカットが訪れるのだが、このカメラの無慈悲な上昇ぶりも完璧だと云いたくなる。まったくの憶測に過ぎないが、現代のドローン技術をもってすれば、このような上昇カットを「九割方」再現するのはおそらく容易なのだろう。しかし残り一割に宿った名状しがたい機微まで再現するのは不可能に思える。いや、このラストカットは、時代や機材や技術には還元できない奇跡そのものであるかもしれない。

(評価:★4)

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