[コメント] 叫びとささやき(1972/スウェーデン)
最初に断っておくが、僕はこの映画が「大嫌い」だ。大嫌いな上での5点。
冒頭から繰り返し聴こえる、単独では澄んだ鐘の様なのに連続して聞くと神経を昂ぶらせる時計、紙の上を走り擦れるペン、和解に見える姉妹の会話を掻き消すチェロ(かな?)、オルゴールやピアノ、まるで生身でいることの不安を覆い隠すがごとく幾重にも着込まれた服の衣擦れ、皿とナイフ・フォークがぶつかる音、風にまぎれて聞こえてくる赤ん坊の泣き声、人間の叫び、ささやき、うめき、つぶやき、息遣い、そして "deadly silence" 致命的沈黙―
この映画のタイトル通り、<沈黙>を含めて音が非常に印象的、というか、鼓膜についてこびりついてはなれない。次女の「わたしを助けて!」という絶叫など、耳を塞がずにはおられない。<沈黙>でさえ、いや「こそ」、耳を塞ぎたくなる。「もうやめてくれ!」と。
物語は実にシンプルで、セリフも会話がぎりぎり成立できるほど極度に純化されているが、それゆえに、窒息性のあるその「行間」が、途中で逃げ出したくなるほど怖い。「怖い」としか言い様がない怖さ。(僕もくたーさんと一緒で「終始」三女が一番怖かった。)
映像も印象的で、まるで深い闇を血で塗り潰したような、どんな光も奪ってしまう赤と、空虚で冷徹な心を象徴するかのような白が、陰翳に富んだ画面を侵食している。くたーさんがすでにほとんど指摘されているが、女中があたかも聖母のように次女に身を授けるカットを代表に、実に絵画的。(僕が特に印象に残っているのは、あの白いシーツの下のもがいた後の「足」。*追記参照)
さて、この映画の何が「大嫌い」かというと、人間にとっての幸福、許し、また和解が瞬間的なものであり、その「瞬間」以外は、人は孤独と絶望の淵に立たされ続けねばならないと、この作品を読んだから。その「瞬間」にしか希望がない、しかも、その後にはまた果てしない、しかも、さらに深い漆黒の絶望が続くというのは、あまりにも辛すぎるし悲しすぎる。確かに、そこに「恩寵」へとたどり着く唯一の道があるのかもしれない。が、それは、あまりにも「絶望的な真実」ではないか。いろんな思いがあって冷静には書けないが、同時に、そこが5点の理由でもある。
ニシザワさんやemauさんもご指摘の通り、そんじょそこらのホラーが束になっても敵わないほど、思い入れなくとも精神的に参ってしまう、それでも最後まで息も絶え絶えに観てしまう作品。みんなにはとても勧められないけれど、それでもいつか観てほしいと思ってしまう…本当になんとも言えない映画。
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以下、ネタバレ追記
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特に印象に残っているのは、あの白いシーツの下のもがいた後の「足」>
と書いたのは、次女が「わたしを助けて!」と何度か絶望的な悲鳴をあげた後、少し落ち着きを取り戻し、息を引き取ります。女中が静かに彼女の目を閉じてあげて、その死に顔は一見、最後に「救い」を得たかのように安らかに見えます。ところが、女中と長女がシーツをめくると、もがいたままの形で残った不揃いな足が、そこにあって、カメラは静かにそれを切り出すのです。
見当違いかもしれませんが、僕は、あのカットが、あまりにも「真実」で辛かったです。
そして、たとえ、次女が「完璧な幸福の瞬間」と日記に綴るあのシーンがラストにあって、それまでの長すぎる「苦しみ」がそのラストの「恩寵」のためにあったしても、あの次女の足の形を思い出すと、あまりの絶望で胸が詰まります。
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