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[コメント] 荒野の七人(1960/米)

侍とガンマンの決定的な違いが、そのまま同じ内容を持つ二作の根本的な違いになっていて面白いと思いました(一応『七人の侍』も観た人向けのレビューです)。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 『七人の侍』においても今作においても、主人公たちは悪党に襲われる村のために戦おうとします。そしてある者は生き残り、ある者は死んでいきます。しかしながらこれら二作においては、根底に大きな違いがあるんです。それは「ガンマンには武士道がない」ということ。「武士道とは死ぬことと見つけたり」とまで言い、生きることより名誉を重んじる侍。その一種耽美で刹那的な思想が『七人の侍』には宿っています。彼らは「生きるために生きる」という道は選べない。だからこそ武士道を持たない農民たちが勝つんです。何を捨てても生きていける農民が最も強いという結論に至れるんです。

 しかしながら今作の主人公たちにはそれはない。代わりに「休息としての死」は出てはきますが、それは疲れからくるネガティブな選択肢に過ぎず、決して根底に流れている信仰とも言えるような思想ではない。だから彼らは生き残ることでまた生を享受し、村人もまた新たな生活を楽しんでいく結末となるわけです。同じような物語で同じような結論を導きながら、そのポジティブさにおいては天と地ほども違ってくるわけです。「生きるって素晴らしいな!いやっほーい!」ってなもんです。

 要は『七人の侍』が「死んでいった侍たちと農民の物語」であったのに対し、今作は「生き残ったガンマンたちの物語」なんですよね。これは特に『七人の侍』における菊千代(三船敏郎)と今作でのチコ(ホルスト・ブッフホルツ)との違いに現れているように思います。これは国民性というものなんでしょうかね。自ら戦うことで道を切り開いてきたアメリカと、御上に支配されることが日常であり続けた日本。やはりアメリカは戦って勝つことが美であり、対して日本は限定された状況での美に力を注ぐ。最も美しく支配され、最も美しく死んでいくというその思想は、実は大衆による「逃げ」なのかも知れません。もちろんアメリカの選択が勝ちだとは全く思ってはいませんけれど。

 いずれにせよ、今作におけるそのポジティブな思想背景は、若手俳優たちが輝いていこうとする魅力と綺麗に合致していたように思います。冒頭の「墓場のエピソード」に始まるそのイケイケな姿勢は、壮大な音楽と相まって非常に小気味よく心地いいものでした。

 原作を観て感銘を受け、すぐさまリメイク権を獲得したというユル・ブリンナー。その結果として今作ができたということを考えたとき、ソビエト生まれのブリンナーに『七人の侍』がどのように映り、そしてどのように思ったのかがとても興味深いところです。

 また蛇足ですが、スティーブ・マックィーンの「俺が俺が」的アドリブ演技を、リハーサル通りに演じることを重んじるブリンナーは非常に嫌ったとパンフレットには書いてありました。少年鑑別所育ちのマックィーンと、サーカスで空中ブランコを演じていたブリンナー、双方の経歴がそのまま性格に表れた、ちょっと面白いエピソードだなと思いました。

(評価:★4)

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