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[コメント] レッド・ドラゴン(2002/米)

あのフルート演奏者……あそこまでの下手糞がリハの段階で首にならず、本番に出てくるか?また、そんなつまらない人間が、レクターにとって殺す価値のある人間だったか?
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







レクターのキャラクターを記号的にしか解釈していない、匙加減知らずのハンバーガー演出は、凡作『ハンニバル』が壊さなかった唯一の要素“格調の高さ”を、冒頭からギャグにしてしまっていたのだ。

とはいえ、そのラトナーの演出自体は、高級料理をハンバーガーに貶めたまでで、フランス料理の皿にハンバーガーが載っているんだと思えば、つまり、レクターものと意識しなければ、食えない代物ではなかった。

問題は、脚本だ。有り体に言って、この物語の主人公はレイフ・ファインズ扮する犯人だった。つまり、物語の本質には、FBI捜査官VSシリアル・キラーの構図など存在しなかった。犯人VS レッド・ドラゴン(犯人にとっての絶対者)という葛藤があっただけだ。だからこそ、犯人とエミリー・ワトソンとのロマンスだけが精彩に見えた。そして、語られるべきは、『羊たちの沈黙』以降、このジャンルが放置し続けたシリアル・キラー誕生の最大要因、すなわち犯人の幼少期のトラウマだった筈だ。原点に立ち返り、それを語りきることで、この映画は、最早前世紀で賞味期限が切れたジャンルに落とし前をつけ、自らを自らへのレクイエムとしえた筈だった。

だが、脚本は、自らの要領の半分を、ノートン扮する元捜査官グレアムとレクターとの確執に裂いてしまった。一見、『羊たちの沈黙』と同じ構図だが、この勝負には、およそクラリスVSレクターに匹敵する味わいなどなかった。お互いが人間的に惹かれ合っていたわけでは無かったのが、まずかった。グレアムにレクターへのシンパシーがなければ、二人の掛け合いは空転するだけだということに、気付かなかったのだろうか?また、犯人の物語が、グレアムVSレクターの軸になりえていなかったのは致命的だった。そればかりか、クライマックスは、後者が前者を蔑ろにしてしまう始末だった。

端的に言えば、犯人は彼処で本当に自害するべきだった。そして、グレアムが犯人の日記を読むことで、もう一度、犯人と対峙する。そうして、シリアル・キラー誕生を促した背景とそれに触れた主人公の絶望を、真摯に描く。物語自体を突き詰めるなら、こうだった筈だ。だが、脚本は娯楽映画としての事情を優先させてしまった。……生き残って元捜査官に復讐するなど、本末転倒以外の何ものでもない。いったい、何時から、犯人にとっての絶対者は、レッド・ドラゴンからレクターに取って代わられてしまったのだろう?

かくして、このジャンルの始祖にして鶏群の一鶴だったシリーズは、凡百のハリウッド映画に成り下がった。

見所は、むしろハーヴェイ・カイテルや、暗号解読をした東洋人俳優(誰だが知らんが、『アナバナナ』にも出てた気がする。ノートンのお友達か?)とか、客演の方。

(評価:★2)

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