[コメント] 千年女優(2002/日)
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観終わって、正直なんの感慨も感想もなかった。そのことにビックリした。この映画はオレにとって終始他人事でしかなかった。その原因もはっきりしている。この映画が、作り手にとっても他人事でしかないからだ。あのひどいオチを見る前から、それは明白だった。
オレは常々アニメーションに「絵が下手だ」なんて野暮なことはあんまり言いたくないと思っている。本当に素晴らしいアニメーションは、「絵がうまいからいい」などという低いレベルには存在しない。本当に素晴らしいプロレスラーが「技がうまいからいい」レベルにいないのと同じことだ。
しかし『千年女優』はあまりにも空っぽな映画だったので、仕方なく「絵」の話をする。女優の少女時代には、それなりに絵から「感情」が見えていた。しかし、それに比べて老婆になった現代の女優の絵がひどすぎる。老女優の顔は、ホラこの人はおばあさんですよ、と説明する絵でしかない。アニメーターは描線で説明するのにいっぱいいっぱいで、絵に老女優の感情がほとんど見えないのだ。
その原因も容易に想像がつくのだが、要するにアニメーターは「少女」を描くのは上手いが「老女」を描くのが下手なのだ。だから老女は老女であることに精一杯で、感情を表現するところまでいってないのだ。思うに少女の絵なら何千回何万回と描いたことがあっても、老女の絵はあんまり描いてこなかったのだろう。キツいことを言うと、それはアニメーターとしての基礎体力がないってことだ。
正直、いまさら例に出すのも気が進まないのだが例えば宮崎駿の映画における「絵」は、老婆も少女も同じくらい豊かな感情を表現していたと思う。あの人だって少女を描いてるほうが楽しいに決まってると思うのだが、それでも何千回何万回と老婆の絵も描いてきたのだろう。絵描きの基礎体力とは、そういうことだと思う。
画風の違いは関係ない。細かく描きこんだ絵や、セルの枚数がアニメーションを面白くするわけではない。アニメーターがキャラクターと一心同体になれたか否かで、表現力はまったく違ってくる。ズバリ言って『千年女優』は技術くらいしか売りのない貧しい映画なんだから、そこはせめてもう少し頑張ってほしかった。
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