★2 | 膝と膝の間(1984/韓国) | 非常に言い訳がましい展開で、成る程、儒教の国に於けるポルノ勃興にはそれなりの弁証的措置が必要だったのだろうが、かえって三流の昼メロか出来の悪いロマンポルノみたいなテイストになってしまった。SEXに対し悦びも被虐もないド真面目ぶりがしんどい。 | [投票] |
★3 | チェンジリング(1980/カナダ) | ピーター・メダックフィルモグラフィの中では多分『蜘蛛女』と並ぶ代表作。コキロンの撮影が広角多用で非常にエッジが効いておりキャスティングの渋さもあって工芸品レベルだ。ただ主人公が究明の役回りの第三者でショッカー味に乏しく余り怖くない。 | [投票] |
★4 | フリーマネー(1998/米) | どういう映画なのか最後まで全く馬脚を現さない、常軌を逸した者たちが考えた脚本。それに嬉々として参画するブランドやサザーランドが身をもって示す米映画の間口の広さ。演出面でも対象を捉える空間的な距離感の把握にはときたま瞠目させられる。 | [投票] |
★2 | 博奕打ち いのち札(1971/日) | 義理と人情の狭間で煩悶する仁侠映画のロジックは後方に退けられ単線的な男と女の話になってしまった。意図としては良しとしても、大時代なアナクロ臭が鼻について乗れない。その帰結がラストの70年代的前衛風味な殺陣では余りに山下耕作の柄ではない。 | [投票] |
★4 | ダウン(2001/米=オランダ) | ヒッチコックの下世話な品格を彷彿とさせるオープニングからして現代版ゴシックホラーの香りが濃厚なる1編。誰も居ないエレベーターホールの不気味さなどオーソドキシイを恐れぬ空気感重視の正統派の格調さえ漂う。終局の謎解きのくだらなさが唯一残念。 | [投票] |
★2 | 冒険者カミカゼ(1981/日) | モラトリアムな時代を牽引した秋吉も筋肉バカ師弟の強力タッグの狭間では添え物的存在になるしかなかった。天然勘違いのもとでオリジナルにあった哀感は完全消失し、覆い切れない熱血血潮が半端に残留。勘違いなりに振り切れない様が限りなく無残である。 | [投票] |
★3 | 夕なぎ(1972/仏=伊) | 男2人の間で揺れ動く女心という骨子が3角関係の微妙な空気感に紛れていく。中年の地味な市井人の心の揺れ動きをハッタリズムを廃して叙情性を押し出し描くフランス映画の伝統的王道とも思わせる。煮え切らない主人公に感情移入は出来ないが、主題曲は良い。 | [投票] |
★3 | さよならミス・ワイコフ(1978/米) | カザンやローガン作に比べてコクがないうえに扇情的要素が露骨ではあるがインジ的米南部片田舎の閉塞感の環境描写は節度があり良い。時代もあり事後の主人公の変容は控えめだが、それだからこその決然とした行為が浮かび上がる。所作も清々しい。 | [投票] |
★2 | ペンデュラム 悪魔のふりこ(1990/米) | 完全無欠にB級映画な精神なのに中途半端に正統的美術とかがまともで演技もセーブしたりするもんだから戸惑う。もう少しはったりを効かせて欲しかった。制約下でまともに勝負しようとして塩垂れた押し花みたいな出来。肝心のギロチン振り子も大したことない。 | [投票] |
★3 | TATARI(1999/米) | 嬉しくなる位の定石を踏んだお化け屋敷もので、ヘタな演出上の色気を出さぬので好感を持てる。なんだかんだ言っても古来より伝わるオーソドキシィの旨みは棄てたもんじゃないと思わせる上出来ホラー。ただ、終盤の展開のCG頼みが画龍点晴を欠いた。惜しい。 | [投票] |
★1 | ゲッタウェイ(1994/米) | ブロスナンもマドセンも憎かろうはずがない…ましてやキム姐をや。ドナルドソンも総じて本作以降の監督作は好きだ。しかし、人にはやって良いことと悪いことがある。こんなことする位なら『第三の男』や『市民ケーン』をリメイクすればいい。 | [投票] |
★4 | ふたつの時、ふたりの時間(2001/台湾=仏) | どん底に落としたヒロインを救済する前作『Hole』との類似性が興を削ぎテーマも一元的で物足りない。仕掛けられた「時間」ギミックは内実を伴わず上滑る。ただ、照明による画面の奥深い色彩設計はゴダールやベルトルッチの最良作をも想起させる。 | [投票] |
★2 | 真夜中の向う側(1977/米) | 矢継ぎ早に何かが起こればいいというもんでもない。ハーレクインな割り切った展開とも言えず、執念が怨念に転化するほどの泥沼でもない。骨子を定め切れず行方を見失い流されているだけの感があり中途半端で凡庸。主役2人に全く魅力や精彩がないのも致命的。 | [投票] |
★3 | 二頭女 影の映画(1977/日) | 寺山の短篇中でも鈴木達夫撮影とJ・A・シーザー音楽が高度に補完し合った世界観が達成されたものだとは思うが、あまりに『田園に死す』的ラストを含め結局のところ自己模倣に捕らわれたものでしかない。コンセプトも解り良すぎでつまらない。 | [投票] |
★3 | 書見機(1977/日) | これも又書を読む行為だと言われたって、ふーんと言うしかないし、寺山的ギミックに又かの食傷も覚えるが、再三試みられる緩やかなローキーからハイキーへの露出開放効果が思った以上に何だか心地良い。書見機自体にはとりたてて感じるものは無いんだが。 | [投票] |
★2 | パン屋襲撃(1982/日) | 軽いジョークと言うなら、それにさえなっていない。本質への考察や言及もないままに一種のファッションとしてのみ取り上げられた「共産党」と「任侠」が不快であるし無惨でさえある。表層に終始した形骸。原作との馴れ合いの関係ではなく解体・再構築をこそ。 | [投票] |
★3 | 昭和残侠伝 人斬り唐獅子(1969/日) | ファナティックな佐伯と対極的なまろみのマキノ作の狭間で得てして個性が埋没しそうな山下耕作作ではあるが、定番パターンに乗っ取って面白いことは面白い。しかし、藤純子の抜け落ちた穴は小山明子では補い切れないのも事実なのだな。 | [投票] |
★3 | スター・クレイジー(1980/米) | ワイルダー&プライヤーコンビを流用した毒にも薬にもならぬ微温コメディ。黒人としてのアイデンティティ何処吹く風のオールドハリウッドな作劇に何の為に監督になったポワチエ?の疑問を呈しても詮無いが忸怩たる棘の一片でもあればと思うのだ。 | [投票] |
★2 | 夏の遊び(1951/スウェーデン) | ひと夏の思い出と言うには鬱屈を内包したものであり、そういうものを如何様に描くかの作者のスタンスへの戸惑いが拭えなかった。露悪的であることと、それを研ぎ澄まされた鋭利さで断罪する後のベルイマンと比較すると如何にも半端。主演女優は色っぽい。 | [投票] |
★4 | 小間使の日記(1963/仏=伊) | 内向する変態フェチと抑圧下の少女愛が錯綜する田舎ブルジョワの混沌を掻き回す都会の冷気を纏ったヒロイン。そういう二項対立はモローの無表情と透徹されたモノクロ撮影の良さもあり格調さえも獲得する。しかし、後半は流され物語性に従属してしまった。 | [投票] |