[コメント] 赤い風船(1956/仏)
小学生のわたしにこの映画は「映像詩」としてではなく、冷たい体育館で膝を抱えたまま、どうしようもなく感情移入をしてしまった。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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その頃わたしの家は、小さなアパートで暮らしていたのだけど。公園にいた仔犬が妙に自分になついては離れなかった。犬を飼いたいと親に言っては怒られ、家にも学校にもついてくる仔犬だった。で、こっそりと学校の片隅で飼うことにした。というか、もう、勝手に犬を学校の裏庭に住ませた。
というあたりが、少年のそばを離れない風船。学校にも、ついてくる風船。風船が、まさしく犬に思えた。仲間が少年から風船を奪おうとする。そして、その仲間達が、風船に石を投げる。そこまでも、まったく、自分と犬と同じ物語だった。
そして映画の美しいラスト。
街中の風船が少年のもとに集まり、色鮮やかないくつもの風船たちにつかまって、少年は空にとびたっていく。
という映像だけから受けるカタルシスの前では、どういうわけか、鬱々として小学生のわたしが抱えた仲間への憎しみやら、恨みやらは、「おおよそ」消えてしまった。
と、書いて、bunqさんの心配されたコメントを読む。
そう。少年時代の実体験者としては、いなくなった犬の世界へ連れ去られる。という暗示ではなく、憎しみよりも、まさる喜び・希望があるんだよ。というようなことを無意識に思いましたよ。
しかし、この映画が今の子供達にどれだけ説得力があるのか、わからないのだけど。。
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