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[コメント] ノーカントリー(2007/米)

構成も、演出も、映像美も、どれをとっても見事であり、それらがすべて主題を深める。西部劇における終わりの終わりが、この映画にはあるように思える。(2008.03.23.)
Keita

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず、構成的に見事な映画である。

通常、映画に関わらず物語というものは主人公を主体に展開されるもの。この映画でその主人公というのはトミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官。冒頭のナレーションとラストシーンが、彼が主人公であることをよく表しているのだが、映画の大半は主人公である彼を中心に展開されない。ジョシュ・ブローリン演じる逃亡者と、ハビエル・バルデム演じる連続殺人犯の追跡劇に終始される。

なぜこの映画の構成が見事かというと、主人公ではないふたりの男を中心に描きながらも、主人公に対して降りかかってくるものをきちんと描き出していたからである。正義を守るべき保安官である主人公が、大金を持って逃げる男に対しても、それを追い回す“純粋悪”である連続殺人犯に対しても、結局のところ何もできなかった。そこで生まれる彼が感じる虚無感、そして何も変えることが出来ない現実。これらのある意味で人生における究極的なテーマを、この映画は浮き彫りにしてくれる。

主人公が介入できないエピソードを描きながらも、主人公が感じる虚しさを観客にも感じさせる。この構成は、絶対に主題が練られていないと成り立たない。その上でも、この映画がいかに計算されているかがよくわかる。

さらに、演出的にも見事な映画である。

逃亡劇をサスペンスとして紡いでいく上で、決して過剰演出はしない。重視されるのは陰影であり、静けさの中での音であり、絶妙な間である。息つく暇を与えないサスペンスの緊張感というのは、こうあるべきなのではないか。恐怖を増長させるようなサウンドトラックの力を借りず、暗がりの部屋に廊下から漏れてくる明かりと、近づいてくる受信機の音や足音によって恐怖を演出する。

モーテルが舞台ということで、頭の中にはふと『サイコ』が浮かんだりもしたのだが、ヒッチコックが多くの作品で実践していたように、映画という映像表現を最大限に生かした演出がこの映画でもされていた。主題としてはハリウッド映画が好むアメリカ的正義に対して疑問を投げかけるような重厚な題材を扱った見事な映画だが、それと同じくらいサスペンス映画としての丁寧な作り方も見事だったと言える。

そして、映像美としても見事な映画である。

冒頭のテキサスの砂漠の風景。あれを見せられるだけでも思わず心を揺さぶられるのだが、砂に滴る赤い血にいたっては残酷さ以上に美しいのである。じっくりじっくりとそれを見せてくれる。コーエン兄弟はこの映画と似た部分もある『ファーゴ』においても、雪原に滴る赤い血をそのコントラストで印象的に見せてくれたが、雪が砂に変わっても、その長所はそのままに生かされていた。

つまり、すべてにおいて見事な映画なのである。

この映画と同じくアカデミー賞作品賞を受賞したクリント・イーストウッドの『許されざる者』は西部劇を終わらせるべく暴力の虚無を描いた映画であったが、この映画の場合、暴力がすでに終わった状態で、それでも暴力に対して何も出来ないどうしようもない状況を描いた。

西部劇には、終焉のさらに先の終焉があった。アメリカ映画として、この映画が評価されない理由は見当たらない。それほど見事な映画であると言える。

(評価:★5)

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