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[コメント] ムーラン・ルージュ(2001/豪=米)

シンプル過ぎて「セリフ」としては全く使えないラインも、シンプルだからこそ「歌」になるだけでこんなに響く。19世紀末ならバズ・ラーマンはパリに行っていたに違いない。
ろびんますく

ダンシング・ヒーロー』では社交ダンス、『ロミオとジュリエット』ではシェークスピア、そして今回『ムーラン・ルージュ』ではミュージカルと、バズ・ラーマンは使い古された題材を使って常に新たな試みを続けている。その一貫した姿勢は「映画」というメディアそのものの可能性と限界に挑戦状を叩きつけているかのようだ。

もちろん、そういった試みは、方法論の奇抜なアイデアだけが一人歩きし、「ちょっと変わった試み」として終わってしまうだけの場合もある。

しかし、この『ムーラン・ルージュ』。見事だ。

ラーマンは歌の力をよく認識している。この映画の歌の中で使われているラインは(オリジナルなものからそうでないものまで)どれも、非常にシンプルで、おそらく喋るセリフとしては使えないものが多いだろう。

'The greatest thing you'll ever learn is just to love and be loved in return.'

'We can be heroes just for one day.'

'Come what may, I will love you until my dying day.'

。。。こんな恥ずかしいライン。そこに「セリフ」としてのリアリティはない。しかし、それが、ひとたび歌になるだけで、そのシンプルさゆえにすごくストレートに伝わってくる。結果、「気持ち」「感情」は非常にリアル。

バズ・ラーマンはその歌の力をよくわかっている。この映画では、複雑でリアルな「セリフ」の代わりがシンプルな「歌」なのだ。だから、これまでミュージカルにありがちだった、ストーリーの流れを止めてしまうような、いわゆる「歌」のための「歌」はなく、ほぼ完全に全てが脚本の中の不可欠な一部になっている。また、観客の誰もが知る20世紀後半を代表するような楽曲たちをクリスチャンが19世紀に書いていたという設定で、彼の作家としての才能を伝えるという発想も面白い。

19世紀末のパリには、ラーマンのような人たちが集まって、あらゆる既存の概念に挑戦状を叩きつけまくり、煙たがられていたのだろう。それを思うとにやけてくる。

(評価:★5)

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