[コメント] ファイト・クラブ(1999/米)
映画は、皆で同じものを見る。誰もが受け取るものは同じなのに、それをどう感じるかで微妙に変わり、頭でどう処理するかでさらに違ってくる。当たり前のことだが、この映画は頭で処理する最終段階でのみ差が生じる特殊な映画だったように思う。
暴力には二種類ある。物理的な暴力と精神上の暴力、または肉体的な暴力と願望の暴力。さらに言ってしまえば、リアルな暴力とインチキ臭い暴力。この映画の暴力は後者だ。
「歴史上の人物となら誰とファイトしたい?」「ヘミングウェイだ!」
でも、ここまであからさまなインパクトをインチキの暴力が獲得しえたことはかつてなかったのではないか。うそ臭いといわれればうそ臭いのだが、この映画のファシズム的な疾走観は特定の思想ではなく、むしろ氾濫しすぎて魑魅魍魎と化した現代思想に対する疲労と拒絶が生んだ感がある。それ故に共鳴を感じる。
特に都市には、肉体的暴力に訴えることができない人間が大勢いる。幸か不幸か、暴力とは無縁な環境におかれ続けた人間だって大勢いる。そういう人々だって等しくストレスと暴力に転化したいやるせなさを抱えている。肉体的暴力の経験がそれらを否定できてしまうぐらいなら、昨今のニュースを賑わしている反吐が出るような事件なんて起きやしない。
この映画の暴力がいかにインチキでも、それを喚起する都市のストレスはどうしようもなくリアルであるからこそ、この映画のインパクトは強力だった。誰もがそのかつてない噴出に、共鳴するか憤怒するかのどちらかだった。この映画に関しては、どうでもいいという意見をほとんど聞いたことがない。だとすれば、好きか嫌いかは逆説的に同次元、激しい反応を喚起できただけで、この映画は作品ではなく現象として、誰に対しても等しく目的を達成したのではないか。
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