★4 | 聖女という主題をキム・ギドクは執拗に描き続けている。今回はセックスを通じて心を与える、という現代の信仰とそれを理解しようともがき苦しむ娘と父親の葛藤。何かを信じることが現代でも必要であるかのように、、。 [review] (セント) | [投票(2)] |
★5 | キム・ギドクの映画にしては、道徳的過ぎる気がしなくもない。自分で「道」を歩くということが幸せなのかどうか、誰にも判らないはずのその道を、気づいたら歩いている。 (SUM) | [投票] |
★5 | 自分の決意通り、聖女にして援交少女であることを、何の迷いもなく実現させてみせるチェヨン。それに対し、凡俗であることから逃れられないヨジン父子は、あがき続けながら高みに至ろうとする。それが凡人の悲しみだが、義務でもある。 [review] (水那岐) | [投票(2)] |
★4 | ラストシーンの絶望感と希望 2005年4月23日劇場鑑賞 [review] (ねこすけ) | [投票] |
★5 | 少女が少女に残したものは、大人のけがれ。大人は少女に何を残せば良いのだろうか。苦悩する父親(クァク・チミン)の姿にキム・ギドクの姿がだぶる。そこには、悩み彷徨いながらもほとばしる想いを奔放に表現してきた者が到達した自信と決意が見える。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(2)] |
★5 | ギドクが遠くから見つめるとき、スクリーンには優しさが充ち溢れ、それが私を幾たびも驚かせ、昂奮させ、そして何かを促してくれる。 [review] (町田) | [投票(9)] |
★5 | ギドク監督に感じるある種のもどかしさと、勝手な質問をいくつか。 [review] (くたー) | [投票(1)] |
★4 | キム・ギドクの作品の中では本作は異質なものを感じる。その一つは演出のほとんどが監督特有の形式美ではなく具体的表現で現実味を感じさせること、もう一つは道徳的なメッセージが込められていること。 [review] (スパルタのキツネ) | [投票(3)] |
★4 | 「バスミルダ」と「ソナタ」の間で翻弄される「サマリアの女」。[夕張市民会館 (ゆうばりファンタ2005)] [review] (Yasu) | [投票(1)] |
★3 | 援交についての言説は日本では消費されつくした感があるが、『サマリア』において焦点が当てられるのは、買う側の男たちと「父」の在りように寄る部分が大きい。 [review] (よだか) | [投票(2)] |