★3 | のらくら(1921/米) | 一見するとドタバタに徹したとてもおおらかな作品に見えるが、底に流れるアンチブルジョア精神は根深い。 | [投票(2)] |
★3 | チャップリンの殺人狂時代(1947/米) | 言いたいことは分かるのですが、諦観と虚無のブラック・サスペンスと風刺になりきらないドタバタ喜劇の喰い合わせの悪さがもどかしい。ひねり過ぎてワン・バウンドしてしまった変化球みたいで拍子抜け。やっぱり直球勝負の方が凄味が出たのではないだろうか。 | [投票(2)] |
★5 | 街の灯(1931/米) | 勝手気ままなルンペンも盲目の花売り娘も、自分が不幸だなどと思っているようすはない。同情は勝手な我々の思い上がり。そして本当の盲目は、自分を見失っているあの金持ち男。エンターテインメントの裏に仕掛けられた、チャップリンのしたたかな思いを感じる。 | [投票(5)] |
★5 | ニューヨークの王様(1957/英) | ときおりみせるチャップリンの、身体にしみついたようなサイレントギャグのキレに脱帽。重苦しい政治問題を扱いながら、そのクライマックスである裁判所へと向かうエレベーターの消化ホースのネタで爆笑させる喜劇役者の心意気に、映画界への苦言と謝辞をみる。 | [投票(1)] |
★4 | サーカス(1928/米) | 20年代に入りチャップリンの作品群は物語性が重視され始めるのだが、その核は「シニカルな社会批判」と「やるせない人生の悲哀」に大別できる。本作は『キッド』と並ぶ後者の傑作であり、ギャグと物語のバランスにおいてはそれ以上の出来。サルには大笑いする。 | [投票] |
★5 | ライムライト(1952/米) | チャプリンの数十年にわたるキャリアと、誕生から50余年経った映画媒体の表現技術が結実した作品。非凡な才能と成熟したメディアの出会いが、この美しい映画を生んだ。・・・2001年の今日、思う事→ [review] | [投票(7)] |
★4 | 担え銃(1918/米) | U字に切り取られた塹壕、そのまた奥のモグラ寝室(?)。画面を縦縞模様に区切る森。壁なしの二階建て廃屋。巨大な兵隊とチビ隊長のドイツ軍。大胆な身のこなしと絶妙なタイミングで繰り出される大小のギャグを、視覚的に補完する映画的装置が抜群に面白い。 | [投票(2)] |
★3 | 犬の生活(1918/米) | パンもズームも無い、フィックスショットの積み重ね。この時代は、コレが普通なのかと見ていたら、ラストショットのみティルトダウン&アップ。なんという計算だかさ。 | [投票(1)] |
★4 | チャップリンの 独裁者(1940/米) | 事の成否にはあえて触れないが、映画というメディアが思想宣伝にどれほど有効であるのかがよく分かる。それはレ二・リーフェンシュタール作品にせよ北朝鮮映画にせよ同じで事である。 [review] | [投票(9)] |
★3 | チャップリンの移民(1917/米) | 17年製作の作品はみな興味深い。これもまた、貧困の中での希望、ピュアでストレートな恋愛という後のチャップリンのテーマが色濃く反映されている。この時期になると個人芸での笑い作りの要素が減り、物語重視で観客に語りかけようとしている。 | [投票] |
★3 | チャップリンの 黄金狂時代(1925/米) | 数回目の鑑賞。この物語がどうしてもしっくりこないのはキャバ嬢(ジョージア・ヘール)の勝手気ままさと“心変わり”の真意が(あやふやで)つかめないところ。マゾヒスティックなまでのチャップリンの至芸と悲哀は『街の灯』の幸福感に比肩したかもしれないのに。 | [投票(3)] |
★4 | モダン・タイムス(1936/米) | 前半の工場労働が機械と働くことの非人間的乾きの笑劇化なら、後半のデパートやクラブでの労働は人の欲望に翻弄される徒労の笑劇化。つまり人の苦痛のデフォルメこそが笑いの源だということ。ステップを踏むようなポーレット・ゴダードの身のこなしがキュート。 | [投票(1)] |
★4 | キッド(1921/米) | 得意芸を抑え、映画という媒体で「ドラマ」をどう表現するか、それを探ろうとしているのがよく分かる。だからこの作品では笑いよりも、感動が伝わってくるのでしょう。子役と監督に敬意を表して、4点。 | [投票(1)] |